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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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成長は喜びを伝播する

誰かの成長は、誰かに勇気と喜びをあたえます。

先日、お気入りの蜂蜜を注文するために、柏にあるお店に電話しました。この
蜂蜜屋さん、私が経営品質の仕事をしていた時代の友人Mさん家族が経営して
います。
年に一度か二度お電話するだけの間柄ですが、今回の電話で、奥様の受け答えが、
ものすごく爽やかで、親しみ深く、「おやっ?これまでと違う!」と思ったのです。

のちほどご主人に聞いたのですが、ここにきて、奥様が「お客様との関係づくり」
に目覚められたとのこと。この分野は経営品質では、カテゴリー3・2「顧客との
関係づくり」にあたります。
経営品質の専門家であるMさんが、一年発起して蜂蜜屋さんを起業し、慣れない
奥様を見守り支えてこられた様子が目に浮かびました。奥様の成長を語るMさんの
嬉しそうな笑顔が、私にも大きな喜びとして伝わってきました。

誰かの成長は誰かに喜びを伝播します。小さな成長であってもそれを感じ、つない
でいけば、喜びに世界が見えるのではないでしょうか。 

半年後、Mさんのお店にお電話するのが楽しみです。

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強くなるためには捨てること

最近、よく思うことがあります。
強くなるためには、捨てなくてはダメなんだということ。
強くなるためには、いろいろ学んだり習得したり練習したりしなくてはならない
けれど、その過程で、余計なものもたっぷりと溜めこんでいるはずです。
例えば、地位とか、こだわりとか、しがらみとかとか・・・

たっぷり学んだ、たっぷり習得したと思ったら、次は余計なものを捨てること。

昨年の今頃だったでしょうか?私がいろいろなものを捨て始めたのは・・・
ともあれ、沢山の物を捨ててきました。捨ててしまえば失うものもあります。
しかし、導かれるままに捨ててきた結果、本当にやりたいことだけが手元に残っ
た感じです。その恩恵ははかりしれません。

コンサルテイングの現場で、また研修の現場で、また何かを書いている現場で、
私は昨年より強くなった自分を感じます。
強いとは、シンプルだということ。
私はやはり強さに憧れている。
そんなある日、こんなものに出会いました。
ちょっとしゃれたポストカードです。さっそく部屋に飾りました。

白龍

私にとって、強さの象徴。それは龍。
龍は片手にちゃんと宝物をつかんでいます。
大事なものは絶対に手放さない!
そんな龍に愛着を覚えたのでした。

最後に決めるのは「心」

経験から学ぶためには、自分の経験を深く振り返り、それらを多様な視点から
分析する力が求められています。
経験を分析するというと何だか難しく聞こえますが、私たちは知らず知らずの
うちに自分の経験を分析しているのです。

私の場合分析し切れない経験に遭遇すると心が落ち着きません。ザワザワした
り、腹が立ったり、憤ったり、不安になったり、と心が「何か違うよ!」と
騒ぐのです。

ある日の出来事。ちょっと複雑な状況を経験しました。
私の中に存在するいくつかの「私」が意見を戦わせています。

 私の中のA子は分別臭い顔で、「~だから、~すべきだ」と正論を吐き、
 私の中のB子は怒りながら「そうはいっても、○○に関しては、相手に非が
  あるので譲れない」と批判者を演じ、
 私の中のC子はしらけ顔で「一生懸命考えたって、どうせまた同じ事よ」、
  と無責任な態度をとる。

こんな時、皆さんだったら、どうしますか?
私が取ろうと思う戦略は次の通りです。

一つ目の戦略 : とりあえず考えるのをやめて、気分を変える。
二つ目の戦略 : 1人1人の言い分をとことん聞いてやる。
         何故そう思うのか?何故腹がたつのか?
         何故そんなに投げやりなのか?
三つ目の戦略 : そこにない視点を探して見る。
         まず見えている世界を「ホントにそう?」と検証してみる
         自分の「正論」は相手の「正論」?と検証してみる
         自分の判断は、判断する必要があるのか、判断の基準は何か、
         検証してみる
         ほうっておいたらどうなるか?最大のリスクを推測してみる


私はたいてい二つ目で経験を分析し、ダメなら三つ目、それでもダメなら一つ目の
戦略をとって出直します。
(もちろん、そんな風に出来ずにいつまでも悶々とすることもありますが・・・)

そうこうしているうちに、「心」が落ち着く何らかの考えに出会うものです。
最後の決め手は、やはり「心」が落ち着く落とし所かな。

何だかんだといくら考えたって、最後は「心」。
いくら理詰めで正しても、心はごまかせません。
しかし、色々な視点で分析する思考は、「心」の落ち着くよりどころとなる
考えを導いてくれることもあります。
「心」と「思考」は切り離せないものです。

曖昧さに対処する

管総理が「一定のメドがついた段階で若い世代に責任を引き継いでいきたい」
と述べた瞬間、テレビのニュース速報は「管総理退陣表明」と伝えました。
その時私ははっきりと違和感を感じました。

  え、管総理、そんなこと言ってないのに・・・
  政治家的表現だとそう解釈できるのかなあ・・・

曖昧さとは、物事をはっきりさせないこと、あやふやにすること。
今、この曖昧さを巡って私たちは何かを学ぼうとしているのだと思います。

日本の伝統風土である「曖昧さ」は、被災地においては、譲り合いや美徳と
いった精神性の高さとして現れ、政治においては、いい加減さ、保身や逃げと
いった日本人の弱さに現れているように思えます。

曖昧さという言葉を、Webの語源由来辞典を引用させていただくと、

「曖昧とは、漢語に由来する言葉である。「曖」も「昧」も「暗い」を意味
する字で、暗くて確かでないというところから、はっきりしないやいかがわ
しいという意味を生じた。」と書かれています。


そして関連語をみて、私は更に納得しました。聞きなれた言葉がズラリ。

曖昧模糊、あやふや、いい加減、いかがわしい、うやむや、大雑把、おそらく、
お茶を濁す、及び腰、きちんと、暗い、けじめ、けりをつける、五里霧中、若干、
ずさん、ずぼら、多分、だらしない、ちゃんと、とことん、どんぶり勘定、
なおざり、生半可、漠然、はっきり、ファジー、ふしだら、紛らわしい、
優柔不断・・・・


大震災は、日本を生半可では解決できない状況に追い込んでいます。
まさに語源にあるように「暗い」できごとの数々。
そしてその中からドロドロのあふれ出る「曖昧さ」にどう対処していくのか?
日本がこの国難にどう立ち向かっていくのかが問われているのだと思います。

自分たちの力ではどうにもならない「曖昧さ」の前に立った時、
私たちに出来ること、それは身勝手や保身、怠惰に基づいた曖昧さを、
徹底的に排除することなのではないかと思うのです。

色々な泥仕合をしながらも、日本が一歩ステップアップすることを信じています。


揺さぶられる判断軸

昨日一日で、私の関心をひいたニュースです。

・20ミリシーベルトなら安全なのか?
・第一次補正予算案全会一致で可決
・8月のお盆までには仮設住宅を何としても作らせる(管さんの発言)
・小沢氏と鳩山氏は当面‘管降ろし’を自粛することで合意(ネットニュース)
・「生食用」と認められていない肉が何年も日本中に流通していたという事実
・ビンラデイン容疑者の軍事作戦での殺害のニュース

本当にいろいろなことが起きています。

自然界では、3月11日の大地震以来、余震が多発しています。
5月2日の時点でマグニチュード5以上の地震が439回
                    6以上の地震が75回
                    7以上の地震が5回

この大震災の余震のように、これからまだまだ色々なことが起きてくるよう
な気がしてなりません。自然界で起きることと無関係だと思えません。
私たちの生活や社会にも、これまでの判断軸では対応できないことが色々
起きるのだと思います。

大地が揺れ動くから、その上にいる私たちは必死につながろうとして
 いかなければならないのでしょう
いろいろなことが起きて判断軸も揺さぶれるからこそ、私たちは必死に
 考えなければいけないのでしょう。

   誰かが何かをしてくれる、
   誰かが何かを決めてくれる、
   誰かが言ったからそうする

そんな時代が終わりを告げつつあるように思います。

こんな時だからこそ、しっかり大地に根を下ろさないと
こんな時だからこそ、しっかり振り返らないと
こんな時だからこそ、向き合わないと


右往左往しながら経過していく時間の中にこそ、学びがあるのかも
しれません。今こそたくさん学ぶ時。


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