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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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小指の痛みは全身の痛み

先日のブログ「小指の活躍」で書いた私の小指はなかなか治りません。
保護具をつけ接骨院で治療を続けていますが、いまだに曲げると痛いのです。
先生は少しずつ良くなっていると言ってくれていますが・・・
突き指して痛かった小指を3か月近く放置しておいた罰に違いありません

なかなか言うことを聞いてくれない小指を見ながら、こんなに小さい部位でも
一通りの理屈をもっているんだと変に感心しています。
しかし、こんなに小さい指なのに、この指が痛いとずいぶん不自由です。
それに、週に2~3回接骨院に通うのは小指ではなくて私全体ですから結構
しんどいです。

今年の6月頃でしょうか、沖縄の普天間移設のTVニュースで、
「小指の痛みを全身の痛みと受け止めて欲しい」と訴えていた沖縄の女性の
ことを思い出しました。その後すっかりニュースで騒がれることのない沖縄の
問題。痛いまま放置されている沖縄の問題。
この問題だけでなく、他にもたくさん痛い痛いと言いながら放置されている
問題が山積しているのが、今私たちの暮らしている社会です。

ピーターセンゲは、「システム思考」を学習する組織の基礎理念とみなし、人々が
次のように認識を新たにすることが必要だと言っています。

  細部に注目することから全体を見渡すことへ
  力の及ばない受け身の存在から、現状へ働きかける参加者へ
  現状への対応に追われることから未来を切り開くことへ



人間の身体は本当に素晴らしいと思います。
 小指の痛みを全身の痛みと受け止めています。
 だからこんな小さな部位でもきちんと治療に参加しています。
 そして治癒に向けて先生と一緒に一生懸命リハビリに励んでいます。

私は私の小指を絶対に見放しません。だって小指は私の一部ですから。

社会や組織が、生命体のように機能し、生命体の持つ叡智を取り入れるには、
どうしたらよいのでしょうか。
  組織を生命体のように見ると、
  社会を生命体のように見ると
そうすると、何がどう変わるのでしょうか。
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「場」をつくるもの

今日は休日ですが、教育熱心なK社の社員研修がありました。
その研修とても良かった。そこには確かに学びの場が出来ていたし、参加者
1人1人もとてもいい感じだった・・・
そんなことを思いながら、「場」について考えてみました。

研修にしても会議にしても会合にしても、人が集まるとそこに「場」ができます。
もちろん職場においても、またお客さんとの商談においても「場」は存在します。

場は誰がつくるのでしょうか?
場はどうやってできるのでしょうか?

普段、そんなに意識していないようでも、実は私たちはとても「場」に敏感です。
その証拠に「場」に関する表現はこんなにたくさんあるのです。

「場がなごむ」「場が盛り上がる」「場が活気づく」「場にまかせる」「場をもうける」
「場がない」「場がしらける」「場が静まりかえる」「場が凍りつく」「場が悪い」「場に
そぐわない」「場を放棄する」「場を読む」などなど。

私は、場には「気」が流れていると思うのです。
そしてその「気」が場を作ると思うのです。


ためしに、今度は「気」のつく言葉をあげてみましょう。
「元気」「やる気」「勇気」「気分」「雰囲気」「強気」「弱気」「負けん気」「気性」「気配り」
「気働き」「気遣い」「気がつく」「気づまり」「気にさわる」「気をもむ」「気に病む」
「気色悪い」などなど。


さらに、「場」と「気」をつなぐ表現をあげてみると
「流れている・充満している・欠乏している・滞っている」
などがあります。

「気」と「場」にもっと意識を向けたら、
人材開発や組織開発のプログラムはどんな風になるのでしょうか?
職場の会議やミーテイングはどんな風にかわるのでしょうか?
よい気の流れる良い場をつくる方法はどこかにあるのでしょうか?

あるに決まっています!
でもそれがなんだかわからないだけです。きっと。
またまた、考える楽しみが増えました

経験をリセットできますか?

いやな経験、不愉快な経験、苦しい経験は誰しもが持っていると思います。
経験学習に出会って経験からの学び方を知る前は、私はそういう経験を結構
しつこく覚えていたり、後々まで引きずるタイプでした。
経験をなかなか消化できなかったのです。

ところがAさん(仕事先の知り合い)は私と真反対。
そういう経験をリセットできるのです。つまり無かったことにしちゃえるのです。
私は、Aさんは頭や心の切り替えが上手なのだと思っていました。
イジイジといつまでもこだわっている自分が小さく見え、Aさんが大きく見えて
いたのかもしれません。

ところがある日のAさんの発言を聞いて、私の見方は変わります。
Aさん曰く
   「私、いやなことはその経験ごと無かったことにするので、その時にあった
   他のこと、たとえばその時誰かが助けてくれたなあとか、一緒に悩んで
   くれた人がいたなぁとかもみんな忘れちゃうのよ」


え~! そんなのあり??? そんなこと出来んの?
と腰が抜けそうになりました。
  
   経験を無かったことにするなんて、そんな風にリセットするなんて・・・
   なんとも言えない違和感に包まれたものでした。
  

それから3年・・・ 私に別のリセット体験がやってきました。

今日は仲良しの友人と久しぶりの楽しいランチです。
秋深まる並木道を歩きながら、私の口からこんな言葉が飛び出しました。

   「なんだか私、今とってもスッキリしちゃって、今までのこと全てリセットして
   新しくなれそうなんだよね。なんというか、この手放し感がとてもいい感じなの~」


あれ、私’リセット’って言っている。Aさん発言以来リセットという言葉は好きでは
ないので使わなかったのに。
でも確かに私は今リセットされた感じがしている。

そうか・・・
いやな経験や辛かった経験から自分が一歩抜け出たんだ。
そういう経験にこだわっていたり囚われていた自分が、そのこだわりや囚われを
手放したんだ。
だから、無かったことにしたんじゃなくて、その経験を卒業したんだ。

そんな風に思えたのでした。
友人の優しい波動と楽しいおしゃべりで、素敵な秋の一日となりました

失敗から学ぶ

先日、某ベンチャー企業の社長さんとお話しをしていた時のこと。

社長いわく
「失敗から学ぶ」っていうけど、それって大変だよね。今業績が悪いのは確かに
経営の失敗だとは思うんだけど、そこから何を学んだらいいのかわからないよ」

うーーん。私も言葉が出ません.心の中では、
   「こうなる前に、いろいろあったでしょう。そのひとつひとつを振り返って
  学習に変えてれば、また何かが違っていたのでは?」

と言いたい気持ちもありましが、それを言って何になるのだろうと思うと言葉
が出てきません。

失敗から学ぶって、そう簡単なことではないのだと思います。
  誰だって失敗により大きな代償を払っているはず。
  その代償と同じくらいの大きな振り返りを
  その代償と同じくらいの時間をかけないと学べないのか・・・


かつて私は自分の身体を顧みず、仕事と家庭の両立めがけて翻弄していた時期が
ありました。その時の代償は「半健康半病人」の身体です。
これがほぼ正常になるまで15年かかりました。

かつて私は子供の自立を束縛するような出来の悪い母親でした。そんな私を
蹴飛ばし子供たちは雄々しく育っていき、今はみんな幸せ。
子供たちが私を育ててくれた、とそんな風に思えるのに10年かかりました。

しかし経験学習に出会ってからは、少し状況が違います。
  失敗から学ぶサイクルが確実に短くなっています。
  去年より今年は確実に進歩しています。
  3カ月前より今の方が進歩しています

ちょっとの時間でもいいから心を静めて
何かのサインを見逃さないようにすること
心を静めて瞬間瞬間を見つめること
これが大事なんだなぁとつくづく思う今日この頃です。


これってすごいことだと思うんだけど、
 どうやったら人に伝えられるのだろう?

またまた自分への宿題が増えてしまいました。

突然与えられる「振り返りの時間」

忙しい毎日を過ごしている私たちにとって、「振り返りの時間」をとることは
なかなか難しいです。

  今のままではダメだよ、
  何かが違うような気がする、
  このままで本当にいいの?


そんな心の声に気づきながらも、現実はどんどん進んでしまいます。
あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ、と何かをやることで気を紛らわせ、
振り返ることから逃げ、見なくてはいけないものに蓋をしてしまうのです。

  とにかく私は頑張っているんだ・・・
  やれることをやっているんだ・・・
  仕方無いんだ・・・


そんな時間を過ごす中で、確実に自分の中の何かが壊れ、大切にするべきものが
犠牲になり、何かが悲鳴を上げ始めます。

しかし人生は上手く出来たもので、そんな時には突然「振り返りの時間」が与え
られることがあります。

  何かに失敗をしたり
  自分を取り巻く関係性が突如崩れ始めたり
  自分にはどうにもならないことがおきて道を阻まれだり
  身体が悲鳴をあげて病気になったり 

 
こんな時は、「振り返りの時間」を取るためのサインなのだと思います。
これまでの自分の振り返ってみても、思い当たることがいっぱい。
後から振り返ってみると、あれがサインだったな・・・と思うことは多い
けれど、その時は結果に振り回されていたことの方が多かった。

これからは、「振り返りサイン」にもっとアンテナを立ててみようと思います。
後から振り返ることも大事だけど、その時気付いた方がいいです。
そんな生き方をもしかしたら「前向きな生き方」というのかもしれません。

吾唯足知(われただたるをしる)

何故か、2週間前からこの言葉に引き寄せられています。

そもそもの始まりは「足るを知る」という言葉への出会いでした。
何となく理解できますが、同時に「夢を持つ・ビジョンを描く」ということも
大事です。この二つは両方とも生きていく上での大切な考えなんだけれども、
反対のことを言っているようでもあり、いや実は同じことの表と裏のようでも
あり、、、と考え始めたのでした。

そしてグーグルを検索して出てきた言葉がこの4文字。
京都の龍安寺には、この4文字をデザインしたつくばいがあるということで、
見てまたビックリ。


Wikipedia からちょっと引用させていただいた説明は以下の通り。
•ここの蹲踞には「吾唯知足」(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれているが
その意味合いから石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを
「不満に思わず満足する心を持ちなさい」という戒めでもあるといわれる。
また水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾唯知足」の4つの漢字の
「へん」や「つくり」の「口」として共有されているのが見どころであり、

写真でお見せできないのが残念。  吾      こんな感じです~
                      知  唯
                        足 

私の純粋な問いは、どっかに飛んで行ってしまい、私の関心は「口」を中心に
「吾唯足知」を右回りに配置したこのデザインにくぎ付けになりました。
素敵ですね~ いいですね~

我が家の庭にこれをおきたいと本気でネットを調べまくったのですが・・・
結局、愛犬の水入れになってしまいそうなので、断念しました。
今はオフィスの壁に写真を貼り毎日ながめています。

そうこうするうちに、私の物欲も何とかおさまり(足るを知った!)、そもそも
の問いに戻ることが出来ました。

以前鎌倉の建長寺で買い求めた本に知りたいヒントがありました。

「やさしい禅の教え―不安な時代、心にしみる禅語70」 建長寺派布教師会

 「足ることを知るとは、自分をよくわきまえて常に自分の本心を知り
  心が安定していること」という解説がのっています。

自分の本心を知る、とは今ここの自分の気持ちに気づいていること。
 それは自分自身を大切にすることにつながります。

心が安定するとは、そんな自分を受け入れつつも志にそって生きていると
 いうこと。人と比較したり、欲に駆られるのではなく、志にそって夢や
 ビジョンを描くこと。

今しばらく、この4文字を噛みしめてみることにいたします。

「自分に無いもの」を知る

朝日新聞の土曜日版に、「40代ガールズトークは痛すぎる」という記事。
かの「草食男子」「肉食女子」などの名付けの親である深澤真紀さんのコラム
とあって、興味深く記事を読ませていただきました。

以下はコラムからの抜粋です。

今の40代女性は1980年代後半から90年代初めのバブル期に社会に出た
人が多く、男性からお姫様扱いされた成功体験を持つ人がかなりいるとのこと。
副題には「成功体験が邪魔をし足を引っ張りあう。ストレスたまるだけ。」
とあります。そして、ガールズトークもなかなか前向きな話にはならず・・・
と話は続きます。

そして、こんな40代女性にお薦めの女子術として
 ・足を引っ張り合うネガテイブな渦に巻き込まれずに社会関係を保つための方法
 ・心を込めすぎない、しかし同性社会のルールから外れないお付き合いの技術
 ・余計なことを言わない作法
 ・心になくてもお詫びがきちんと言えること  

などなどが紹介されておりました。

私自身は、ここ数年とにかく40代女性と知り合い、一緒に仕事をするということが
多かったので、この記事は、彼女たちとの出会いやお付き合いを振り返る良い
きっかけとなりました。

彼女たち1人1人はとても優秀で自立していてオシャレでパワフルな人ばかり。
皆さんとても関係性を大切にし、そのことについての労力を惜しみません。
そんな彼女たちを見ていて、「私には無いもの」をいつも感じておりました。

その「彼女達にあって私に無いもの」は何かが上述の女子術に凝縮されています。
うーーん。恐ろしいほど私の辞書には「女子術」が入っていません。
そもそも論や精神論ばかりが先に立ってしまい、私にはこうした「術」が足りない
と遅まきながら気付いた次第。

しかし、自分に無いものがわかるって面白いです。
それが分かることで、自分をより深く理解できたこの感じ。
それが分かることで、他者をより深く理解できたこの感じ。
そんな感じに耳を澄ませると、また世界が広がっていくかもしれません


心と思考、ついでに身体もデトックス

今私の中で、いろいろなことが変化しています。
変化の時というのは、これまでの古い考え方やエネルギーを捨て、新しいものを
取り入れる時でもあるので、いろいろな混乱がおきる時期でもあります。

そんな混乱の中、一昨日から猛然と(というと大げさですが)要らなくなった
書類や衣類を捨て始めました。
書類にして50センチの高さ、衣類3袋・・まだまだ出そうです。
要らないものを捨てる作業、これって確実に心や思考のデトックスに役立って
います。

そう言えば、友人のNさんが一カ月前位に、「私、断舎離中でーす!」と言って
いましたっけ。本気で断舎離に取り組むと、すごいことになりそうです。
一度はやってみたいけど、今はプチ断舎離でいいや。
それでもなんだかスッキリして新しいエネルギーを呼び込めそうな予感。

と、ところが、今度は身体の方のデトックスが始まっちゃいました。
世に言う‘風邪をひいた’というやつです。
風邪をひくというのは、体内に溜まった毒素を吐き出しているということら
しいので、これも一種のデトックスかもしれません。
だいたい、そんなに風邪をひくようなこと、やっていないんです。
寒い思いもしていないし、無理もしていないし・・・
これはデトックスに違いない・・・

とはいえ、咳、鼻、喉が辛いです。
え~、困ったな・・・
明日は実家の母の誕生会をやるのに・・・
そう思うそばから、くしゃみ10連発。

これを‘病気’とみるか、‘デトックス‘とみるか?
やはりここは‘デトックス’の方に一票いれて、明日のイベントは決行しよう!

母の自慢は、「11月3日はね、絶対晴れるのよ!」です。
はたして明日も晴れでしょうか?

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