FC2ブログ

経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010年ー私の経験学習ー

今日が今年最後のブログ更新。軽くこの一年を振り返ってみることにしました。

  見えている世界を広げてみませんか?
  信じていることに問いかけてみませんか?
  判断することから離れてみませんか?


こんな出だしのホームページをつくり、ブログを始めたのが4月でした。
しかしその準備は昨年の今頃から始まっていたのです。

  見えている世界を広げてみませんか?
  信じていることに問いかけてみませんか?
  判断することから離れてみませんか?


ストレスフルな状況にあって仕事が楽しいと思えなくなっていたあの頃、
今思うに、この3つの問いは私自身に向けたものだったのかもしれません。
この一年、おそらく毎日毎日このことに向き合っていました。

  見えている世界を決めつける思考が可能性をせばめ
  信じていること押しつける思考が他者を遠ざけ
  そして何かを判断する思考が自分を苦しめる


そんな自分に気づきながら、そんな自分を許しながら、そんな自分を戒め
ながらこのブログを書いていたように思います。

この一年の様々な出来事や経験を通して少しだけつかんだ感触。
   
   自分の思い通りに何かをコントロールしようとしないこと
   人のことなのに私が何とかしようとしなくてもいいこと
   自分がどうありたいかを問い続けること
   ありたい自分を大事にすること
   そして後は運を天に任せて、ただただそこにいること

この一年、関わりの合った全ての人に感謝です。
少し早いですが、皆さん良いお年をお迎えください。

スポンサーサイト

チームに参加する

今、ある原稿を執筆中です。
その中で「チームに参加する」という章を作りたいのだけれど、さてこれって
どういうことか? と考えていました。
そもそもこの言葉の原点はなんだっけ・・
本棚から、デヴィット・ボームの「ダイアローグ」を取りだしました。
―対立から共生へ、議論から対話へ- という副題がついています。
ある時期一生懸命読んだんだけど、難しくて・・・
パラパラと開いて見ると、参加という言葉が目にとまります。
蛍光ベンで印がついていますから、前から気になっていた言葉なのです。

参加するという言葉には二つ意味があるそうです。
・一つは文字通り「参加する」。つまり人が何かに加わるということ。
 ※これが現代使われている通常の意味です。
・もうひとつはもともとの意味として「分かち合う」という意味。

    

さて今日はクリスマス
 家族でケーキを囲んでいるご家庭も多いでしょう。
 そこにいつもはいないおばあちゃんが参加したとします。
 いつもは家族4人で食べるケーキをおばあちゃんも含めて5人で食べるのです。
 一つのケーキを分かち合うので1人が食べる分は減ってしまいます。
 しかし、美味しかったね、楽しいねという経験は4人ではなく5人で分かち合う
 ことができるのです。

新しい命は誕生とともに、それまでの家族に参加することになります。
 既にいる家族はお母さんやお父さんの愛情を分かち合わなければなりません。
 しかし新しい命がもたらす喜びを今度は家族全員が分かち合うのです。

チームに参加するって、どういうこと?
単に活動に加わるという意味以上のことがありそうです。

チームに参加するって
 ・目指す目的や夢やゴールを分かち合うこと
 ・やり方や方法についても分かち合うこと
 ・自分の考えや気持ちを分かち合うこと
 ・上手く言ったり失敗したりした経験を分かち合うこと
 ・そして1人1人の成長とチームの学習を分かち合うこと


「分かち合う」ってなんて素敵な言葉でしょう!

チームに漂う違和感

先日、某社の人材開発部門の皆さんとお話しをする機会がありました。
ここ数年質問型のコミュニケーションにどっぷりつかっていた後遺症(?)で
しょうか、私は人の前に立つと、話すより質問の方が多くなってしまいます。

しかしさすがに人材開発部門の皆さん。
私の発する質問に‘うーん’と考えながらも、適確に答えてくださいます。
30分が過ぎ、適度に場が和んできた頃、私はこんな質問をしました。

「皆さん、チームに違和感を感じた時はどうしているんですか?」
一瞬、会場に戸惑いの空気が流れます。
そうか・・・チームの違和感といっても、すぐにはそれがイメージできないかも
しれないと思いなおし、質問を変えました。

「言われることはもっともで、これと言って反対する理由はないけど、でもしっく
 りこない、納得しかねる、すぐに言葉にはならないけど何か変・・・とかって
 いう空気が漂うことないですか?」

と問い直してみました。

すると、会場のあちこちで顔を見合わせたり、クスクスッという笑い声が出たり、
下を向いて肩を震わせて笑う人もあり・・・

な、なんだろう?この変化?
私は、思わず問いかけました。 

「今この場に何が起きているのでしょうか?」
するとこの部門の責任者と思しき方が、笑いながら答えてくれました。
「まさに今我々の職場で、皆がそういうことを体験しているのです」

場が一気に温まりました。
1人1人の表情から硬さがとれ、場に気が流れ始めました。

「チームの違和感」は、チームに流れる非言語のメッセージです。
私たちにチームの状態を教えてくれる重要なメッセージです。
チームにある違和感に気づいたら、その違和感について皆で話し合えるように
なると、チームはもっともっと楽しくなる!


そんな確信をもった一日でした

持論の木

自分の持論を練り上げていくと、いったい何になるのだろうか?
ふとそんな考えが浮かびました。
いろいろな経験をして、それを振り返り、新たな持論を生み出していくという
過程の中で、持論はどんどん更新されていくわけです。しかし、むやみやたら
と色々な持論が創りだされるわけではなく、そこには一つの方向性や目的が
あると思うのです。

そんなことを考えていたら、「持論の木」という言葉が浮かんできました。

木は太陽に向かって伸びていきます。
木は地球の中心に向かって根を張っていきます。
木は冬になると葉を落とし、春になると芽吹いてきます。

私たちの持論は、太陽のような志に向かって紡ぎだされるのでしょう。
私たちの持論は、人生という土壌(地球)にしっかりと根を張るのでしょう。
私たちの持論は、破壊と創造を繰り返しながら幹を太くしていくのでしょう。


志の方向性が太陽に向かっていなかったら、ちょっと寄り道をしてしまうかも
しれません。
でも、その人が語るどのような持論も、その人の人生に根を張っていくので、
その結果はその人がしっかりと受け止めざるを得ないのだと思います。
しかし、私たちには大地に根付く木のような強い生命力を与えられているので、
多少間違ったり転んだりしても、また立ち直ることができるのだと思います。

私自身、これまで今にして思えば随分無理な持論を展開していたものです。
その時は太陽が見えずに目先の目標だけを追っかけていたのかもしれない。
しかし、何とか無事に今の私がある。
これが私と言う生命力なのだろうか、と振り返っていると、なんだか素敵な
考えがわいてきました!

● ● ● ● ● ● ●  
私の周りにちょっと心配な人がいる。
ちょっと口出しをしたくなる人がいる。
でも、その人にも木のような生命力があるから大丈夫。
失敗しても転んでも大丈夫。
私が大丈夫だったように、その人も大丈夫。

私の心配や口出しは、その人の役にたつものではないので、捨てましょう。
その人の生命力を信じましょう。

ネガテイブな態度にも意味がある

何年も前のこと、社長室長として勤務していた時代のことです。
会社の業績も思わしくなく、人間関係のひずみやモチベーションの低下に打つ
手も無く、疲労困憊状態でまさに自分がつぶれそうになっていた時代の話です。

朝の満員電車でのこと。
人の波に押されて踏ん張っていたときに、ハッと閃いたのでした。
   今、私はものすごいエネルギーを使っている。
   自分が潰されないように必死に頑張っている。

電車の中の状況と会社での状況が重なり会った瞬間でした。

それ以来、同じエネルギーを使うならもっとましな使い方はないものか・・・
と考えるようになりました。その1年後にY先生の「不満を変革のエネルギーに」
という言葉に出会います。自分の中にビビッと何かが走りました。
間違いなく私の人材育成や組織開発の仕事の原点がここにあります。

そして?十年たった今、コンサルテイングや研修の修羅場を通して思うことは
表面的に負(ネガテイブ)に見えることの裏には必ず正(ポジテイブ)な面が
あるのだと言うことです。

それが一番顕著に表れたのは、自分自身が研修の受講生の態度に一喜一憂しなく
なったことです。ネガテイブな態度の人に出会っても、自分の中でこんな想定が
できるようになりました。(正解かどうかは別ですが)

 ふてくされている人・・・思う通りにいかないで苛立っているのだろう
 やる気の無さそうな人・・・うまくいかないから不安なのだろう
 疑い深そうな人・・・分かりたいという気持ちが人一倍強いのだろう
 食ってかかってくる人・・・過去のいやな体験を払しょくしたいのだろう
 目をそらす人・・・対峙する準備ができていないだけだろう
 バカにしたような顔をする人・・・自分の正しさを証明したいだけだろう
 すねたような態度の人・・・大切に扱ってほしいのだろう


そして同時に
 自分だってそうだったではないか。
 自分だって散々なこんな顔をしてきたではないか。
 辛いのいやだのと言いながら、心の底では何とかしたいと思っていたでは
 ないか・・・

という思いがわいてきます。(ネガテイブな態度の彼らが愛しくなったりして。)

そんな風に思えるようになると人材開発や組織開発はとても楽しくなります

チームや職場も風邪をひく?

皆さんの職場は、風邪をひいたり腹痛を起こしたりしていませんか?
ま、これは組織を生命体とたとえた時の話ですが・・・

風邪をひくと、いわゆる風邪の症状とともに体中が筋肉痛のように痛かったり、
治ったはずの腰痛がでたり、胃腸の調子が悪くなったり・・・ありとあらゆる
自分の弱いところが吹き出します。
風邪は万病のもとと言われる所以ですね。

似たようなことが、チームや職場といった組織にも起こることがあります。

こんな症状がでたら要注意です。
   ・人間関係にきしみが生じる
   ・噂や立ち話が多くなり、仕事への集中が阻害される
   ・言われたことしかやらないようになる
   ・士気やモチベーションや組織への忠誠心(ロイヤリテイ)が下がる
   ・良い仕事をしても誰も気づいたり誉めたりしてくれない
   ・あまりにストレスが激しい、または逆に緊張感が抜けきっている
    ・決定したことが守られない、なかなか実現できない

このような症状を放っておくと、
   ・顧客からのクレームが増える
   ・仕事の質が下がり、ミスが目立つようになる
   ・生産性が低下してくる
   ・社員が次々と辞めていく
など組織は深刻なダメージを受けてしまいます。

コンサルタントとして、こんな職場に対峙すること十数回。
自分自身がこんな職場にいたこと、数回。
  いや~とても大変でした~何度も壊れかけました~

しかしこんなチームや職場でも、何かが変われば必ず生まれ変われるものです。

 病気の身体を直すのが自分自身の自然治癒力であるように、
 チームや職場にも、治癒する力は眠っています。
 その治癒力って「変わりたいと思うパワー」なのではないだろうか・・・


    
12年前に独立するきっかけ。
それは当時知り合ったY先生の「不満を変革のエネルギーに」という言葉でした。
この言葉に心打たれて、コンサルタントを目指したときのことを鮮明に思いだし
ました。

12年はひとつの節目、私の仕事も13年目を迎えます。
前より、少し経験を積み、少し学習を積んだ私が、またこのテーマに挑戦するの
も素敵な感じがします。

いろいろな手法もスキルも何もかも、全てはここに向かっているのだという
 ことに気付きました。

 あれっ? 今日はもしかして12月11日??
 すごいわー。今日って私の小さな会社の創立記念日です。
 神様から素敵なプレゼントをもらった気分です。

 いまさらですが、Y先生、素敵な言葉をありがとうございます。
 そして私にたくさんの経験を与えてくれた全ての人に感謝です。

省察的観察

経験学習サイクルのプロセスに省察的観察(Reflective Observation)という
のがあります。
このプロセスに求められる能力は「経験を様々な視点から観察し振り返る力」です。
これが結構難しいです。

私たちは普段アセスメントなどでも観察をすることがありますが、観察とは本来
どのようなことなのか?そんな風に思っていた時に、「気づき講座」でお世話に
なった本田ゆみ先生は、こんな風ににおっしゃいました。

「観察というのは、私たちが小学生のころにやった「朝顔の観察記録」のような
 ものですよ」
   
   昨日よりも5ミリ枝が伸びた。
   つぼみを5つ見つけた
   今日は花が二つ咲いている

観察の極意はこれですね。
評価したり判断したりせずに、ありのままの対象物を見る目。
自分のもつフィルターを通さずに、ありのままの対象物を見る目。
対象物に関心をよせ、多様な視点から見ようとする目。

私たちは観察しているつもりでも、そこに理由をつけてしまいがち。
とくにその人に対してネガテイブなフィルターを持っていると、ネガテイブな
ものをよく観察してしまいます。そしてそれに理由を付けたがるから、経験
学習のサイクルが負の方向に回り始めたりするのです。

しかし逆にサポーテイブ過ぎるフィルターを通してみると、ちょっとしたこと
で一喜一憂して後でガッカリすることも・・・
ま、それが人生さ!と言ってもいいという気持ちもありますが・・・

しかしこの省察的観察のプロセスが後々の持論化、行動に大きな影響を与える
わけですから、重要に違いありません。

もしより良くまだ成長する余地があるのなら、私の苦手とする「省察的観察」
 をもっともっと極めたいです。

教えないで教える教授法

最近、私の中で教えないで教えるという言葉がブームになっています。
イメージとしては、ハーバード大学サンデル教授のソクラテイック・メソッドが近いです。
※教師が一方的に教えるのではなく、聴講者に問題を問いかけ、対話を重ね、
 学生に話し合いをさせ、議論を通じて実感を得るような、そんな方法です。


実は、私自身はそんな方法がどんどん当たり前になっています。
(私が自慢できるのはこれだけかも)
この方法は効率いいし、腹落ちもするし、とてもエコな方法なのです。
ですから、多くの人にこの方法を伝えたいと頑張ってきました。
しかし、最近になってこれは結構難しいということがわかってきました。

 ・教えたいテーマについて、どんな問いかけをするのか?
 ・問いかけに対する答えからどんなメッセージを受け取るのか?
 ・そのメッセージを、本来伝えたいテーマと関連付けて、次に何を
  問いかけるのか?
 ・場に出た意見や感想をテーマにむけてどのように統合していくのか?

私も初めからこれ出来ていたわけではありませんでした。
もちろん、今も完全ではありません。
問いかけをしながら進める!と心に決めていても、ついつい気づいたら、
とうとうと説明をしてしまった・・みたいな失敗を繰り返しながら、徐々に
コツをつかんだのです。

上手く行くためにもっとも重要な要素、、、それは
  そのテーマに対して深い「洞察力」をもって専門性を磨くこと、
  学ぶものを尊重し、一緒に考えながら理解を形成するという「あり方」
  場に起きていることを観察し全てのアンテナを場に「集中する力」 
  場での出来事に対して「瞬時に振り返る力」  
  受講者の学びを促進するような「問いかける力」


高校の物理の授業に同じような方法を取り入れているK先生と先日話しました。
生徒の呑みこみはこれまでの教え方に比べて格段と速いそうです。

なんとかこの方法を体系だてて世に出したいものです。
しかし難しい点がいっぱい。
それは体系だてて教えられる部分は少ないということ。

「洞察力」「あり方」「集中力」「瞬時に振り返る力」「問いかけ力」

「教えないで教える法」を教えないで教えるしかありません。
あ~どうやったらできるのか。悩みはつきません・・・

職場学習花開く

先日、ちょっと変わったリーダー研修をやりました。
講師が「教える」のではなく、受講生が「経験から学ぶ」というのを徹底的に
やってみたのです。

前回の研修時に「OJTハンドブック」なる教材を受講生に渡しました。
日本監督士協会発行の1章から10章までコンパクトにまとめられている
とても優れ物の教材です。  ⇒ http://www.kantokushi.or.jp/

そして、
 『次回の研修までに、好きな章を一つ選んで読み、自分の仕事に役立て
  られるポイントを見つけておいてください。』と課題を出しておきました。


さて今月の研修は、簡単な振り返りをした後で、早速発表タイムです。

誰が誰と打ち合わせたわけでもないのに、皆さん見事に違う章を選んで
います。また同じ章を選んだ人でも、全く違う視点で発表は進みます。

 自分が苦手なところを選んで、ここを克服したいという発表者
 自分が大切に思っていることが本に書いてあったのでそれを発表する人。


ひとそれぞれ、本当に個性に合わせて生き生きと発表してくれました。

そして、研修最後の振り返りの時間です。

最初は本を読むのが億劫だったが、人の発表を聞いているうちに、
 他の章も読んで 見たくなった。

発表者の話を聞いていると、その人がそういう風に頑張っていたんだという
 ことがわかって、その人の距離がすごく縮まった。

こういう本は嫌いだと思っていたけど、自分の仕事に照らし合わせて読むと
 とても面白いと思った。全部読みたくなってきた。

しめしめ。こちらのねらい以上の効果が出ていました。

やはり学習は本人の中にあるもの。
学習は仕事の中で生まれるもの。


何かを教える人ではなく、学習を促進する人でありたい。
教える人はたくさんいるけど、教えないで教える人って少ないでしょ。
 そういう人に私はなりたい。


FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。