経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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ザック・ジャパンの快挙

一昨日のアジアカップ決勝戦は、深夜にも関わらず視聴率33%だとか・・・
私も李選手の奇跡のような美しいゴールに歓声をあげた1人です。

今回は、ワールドカップの時に比べて、半分位の選手が入れ替わっていたそう
ですが、あの時につくられた対話の風土が引き継がれ、さらにチーム内の情報
共有の質は格段に進化している様子が伺えます。
経験からの学習力が超高いチームなのだと思います。

サッカー代表チームは、私たちにチームを作ることのむずかしさも素晴らしさも
両方を教えてくれています。しばらく目が離せません。

私たちは、いろいろな場面でチームに参加しています。
今回の代表チームが私たちに教えてくれたこと、それは

 メンバーが自分自身の役割を果たすだけでなく、全体の動きを見ながら
   必要なことを周囲に働きかけること。

 チーム活動はこれでいいのだろうか?もっと効果的な方法はないだろうか?
   と振り返り、問いかけ、話し合うこと。


こんな当たり前のことがなかなか難しいんですよね。
ついつい自分のことしか考えなかったり、全体を見失ってしまったり
一生懸命になって突っ走ったり、主張したり引っ込んだり・・・

そうそう、どなたかがこんなコメントをしていましたっけ。
  「当たり前のことを当たり前にできるのがプロである」
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教えないで教えるメソッド

教えないで教えるとはどういうことなのか、私の考えを少しずつ書いてみたい
と思います。

このメソッドも、最終目的は「教える」ことにあるのですが、そのプロセスに
おいて「教えない」手法を取るメソッドだと私は考えています。

しかし
 「教えない」手法だと解釈して、自由奔放に勝手気ままな理解のままに任せ、本来の
  教えるべきポイントがうやむやになってしまっては本末転倒です。
 逆に、最終的には教えないといけないので、途中であきらめて教えを押しつけ
  てしまっては、このメソッドも中途半端なものに終わってしまいます。

考えておきたいことは、もし教える側が自分の教えたい事をダイレクトに伝えた
場合、受講者の理解はその話の範囲にとどまる可能性が高いということです。

  ・それは「教える人」が言っていることであり、自分が考えたことではない
  ・それは正論であり、実際の現場では使えない


といったような反応のもとでは受講生の学習の深さや実践度は深まりません。

「教えずに教える人」に求められるのは
 受講者に様々な質問を投げかけながら、相手の学ぶべきポイントを探ること
 受講者の反応や答えを聞きながら、教えるべきポイントと学ぶべきポイントの
  共有できる点、共感できる点を探ること
 受講者の反応や答えを聞きながら、何故そう思うのだろう?と一緒に考えなが
  ら共通の理解を探し出すこと

これらを一つのメソッド、一つのスキルとして、講師や先生が活用できるように
 なれば よいのになあと思っています。
 メソッドとして、そろそろ形にしてみようかと思う今日この頃です。
 

リーダー研修最終日

今日は、経験学習を取り入れたリーダー研修の最終日。
あらかじめ配布してあった「OJTハンドブック」の中から、この2カ月間で取り
組んだものを、それぞれのリーダーに発表してもらう日です。

発表の仕方にも経験学習を取り入れています。

  (1) 具体的経験・・・何を実践したのか?
  (2) 振り返り・・・・やってみてどうだったのか?
  (3) 概念化・・・何故上手くいったのか?上手くいかなかったのか?
  (4) 実践的試み・・・次はどうするのか? 何をかえるのか?


(1)と(2)までは皆さんスムーズに発表しますが、(3)の概念化で、
 歯切れが悪くなり、概念化し切れていない人が出てきます。

 そこで、他の参加者にどうしたらよいかを問いかけ、アイデアを募ります。
 アイデアが出つくしたあたりで、私の方からもコメントを出します。
 そして(4)の次なるアクションプランを述べてもらって、発表は終了。

こんな感じで、職場での経験学習を徹底的に盛り込んだこの研修も、無事終了。
1人1人が自分で決めた課題をやり、1人1人が自分で経験を研修の場に出して、
そこでの学びを全員で共有してきた半年間でした。

それぞれが、それぞれの学びを手にし、自信に満ちたリーダー達の顔がそこに
ありました。

終わってみて改めて思うこと。

  職場は、まさに「業績を作り上げる場」です。
  職場は、まさに「人材のトレーニング場」です。

  職場とは、職(仕事)を通して学ぶ場です。

私の意識は「研修の場での学び」を実らせる職場学習に向いてきています。
私は「職場学習の促進」について考え、伝え、支援する人でありたい。

そんな思いを強くした一日でした。

自然農法

先日、「世界のこんなところにも日本人がいます!」みたいなTV番組で、確か
アルゼンチンだったと思いますが、自然農法を実践しているご夫婦が紹介され
ていました。

自然農法について全く知らなかった私は、テレビをみてビックリです!

   耕さない、除草しない、肥料をやらない、そして無農薬。

これが自然農法の基本だとか。
畑は畑に見えず、自然そのものの姿の中にいろいろなものが育っています。

種まきの様子を見てまたビックリです。
粘土のようなものに何種類もの種を混ぜて、それを団子にして、あちらこちら
にポーン、ポーンと放り投げるだけです。何日か経つと芽が出てくるのですが、
何の種の芽がでるのかは誰にもわからない、その芽が根を張って育つかどうかも
わからない。全てを自然に委ねているのです。

自然農法の考え方を人材育成に取り入れたらどんな風になるのだろう??
  耕さない? 除草しない? 肥料をやらない? 無農薬?

なんだか除草しないと無農薬は出来そうですが、耕すと肥料をやるは取り除け
ないだろうなあ。しかし耕しすぎない、肥料をやりすぎない、、というのなら
いけるかも!

一番私が気にいっのは、あの種まきのシーンです。
私の中に三つのメタファーが生まれました。

粘土団子は、研修です。受講生に沢山の能力開発の種を埋め込んだら、それを
  ポーンとその人の現場に投げている私。そこで何が育つかは誰も知らない。
粘土団子は、質問です。いろいろな可能性を秘めた質問をポーンと場に投げて
  いる私。場の中に埋まっている答えは誰も知らない
粘土団子は、出来事です。私たちは関わることで、さまざまな出来事をポーンと
相手の中に投げています。しかしその人が何を経験するのか、そこからどんな
学習を紡ぎだすのか、誰も知らない。

そもそも研修講師やコンサルタントという第三者の仕事は、粘土団子を投げること
なんだな~という実感がわいてきました。
粘土団子をポーンと投げたら、あとは結果をコントロールしようとしないこと。

そんなことを考えた土曜日の午後でした。今日もよく晴れています。

小指が教えてくれたこと

何年か前に「身体はその人の履歴書」という言葉に出会いました。

昨年の秋から痛めている私の小指、せっせと接骨院通っているのに、まだ完治
していません。痛みは80%軽減、機能も70%位回復しているのですが、
朝起きるとパンパンに腫れています。

この小指も私の生き様そのものなんだ・・・・

私の生き様とどんな関係があるのだろう?と考え始めてハッとしました。
一日のうちの多くの時間パソコンに向かっています。しかも何十年も。
どうも右腕全体に問題があるような気がしてきました。
接骨院の先生に、恐る恐る、小指の問題は右腕全体の問題ではないかと尋ねた
のです。僕もそう思っていました!とすぐに腕の付け根からのマッサージが
はじまりました。

何かが小指の先まで流れる感覚があり、小指は更にパンパンに膨らんだあと、
スーッと細くなっていきました。私の右腕に溜まっていた毒素が溶けだした
感じです。

私の生き様が、私の右腕に何かを溜めこんでいたのでしょう。
  完ぺきにしたい私。せっかちな私。私がやらなくちゃと思う私。 
  私にしかできないと気負う私。心配し過ぎる私。グルグルと考えすぎる私。
  気になりすぎる私。溜めておけない私。頑張りすぎちゃう私。


それらは生産的ではない思考、不必要な「思考」の産物です。
それらの思考を生みだすのは、
  認められたい、成し遂げたい、誉められたいという私の心。
私の小指は、心の使い方と思考の使い方を見直そうね、と教えてくれている
 のかもしれません。


フィードバックへの怖れ

つい最近、「これは相手にフィードバックしなくては・・・」と思う出来事が
ありました。

フィードバックは
‘相手の言動観察をもとに、相手の認知や学習を促進する目的で行うもの’ 

しかし人間関係におけるフィードバックは、する側の認知を頼りに相手に何かを
伝えることになるので、本当に難しいことなのだと思います。

当然フィードバックには誤解や反発はつきものです。
過去に、フィードバックをしたことで、ピシャリと心の扉を閉じられちゃった
ことや反発されたこともあり、へこんだ経験を何度もしているのですが、
それでもまたフィードバックの機会が巡ってくるのです。

フィードバックをするには2度エネルギーを使います。
一度目は、どんな言い方をしたらよいのか、何を伝えたらよいのか
 と悩みながらもフィードバックをするまでのプロセスです。
二度目は、そのフィードバックを相手が受け入れたかどうか、
 それが分かるまでのプロセスです。

かなりのエネルギーを使うのでしない方がどんなにラクかわかりません。

でも、フィードバックをしない選択をしたとき、それはそれでまた自分の大切に
している何かとの折り合いをつけなければなりません。
フィードバックは、したことの影響と、しなかったことの影響の両方との折り合
いをつけなければならないわけです。

もちろん、タイミングや伝え方に十分な配慮をすることは重要ですが、
  いくら頑張っても自分の実力の範囲内でしかできないし、 
  いくら頑張っても、所詮相手のあることですから、相手の受け止め方次第。

そもそもフィードバックは相手の成長を願う「愛」に基づいた行為のはずです。
相手がフィードバックの内容を受け止めることばかりを期待するということは、
その「愛」に対して見返りを求める行為なのだと気づきました。


フィードバックには、誤解や葛藤がつきもの。
 そんな割り切りがあると、また人生は少しラクになるかもしれません

心と頭と体の叡智

新しい年に入り、思いがけずいろいろな本との出会いがありました。

事の発端は、昨年12月に久しぶりにお会いしたKさんとの会話。
現在進行中のプログラムのお話しをされ、
「この部分のプログラムがまだ出来ていないのよ~」と困っておられました。
直感的に、その欲しいプログラムはこの中にある!と思って開いた本が、
グラバア俊子さんの「ボデイワーク」という本でした。
この本は12年も前に戴いた本で、ちらっと見ただけで飾ってあった本です。
きっといつか読むだろう・・・と思って書棚におかれていた本です。

12年前にはチンプンカンプンだったその本が、今回目的を持って読んで見る
と、スルスルと頭にはいってきます。
本よ。12年の間私を待っていてくれてありがとう!
興味をもった私は、グラバア俊子さんの書いた別の本、
「私という迷宮―セルフクエストのすすめ」を購入し、読み始めました。

1998年に書かれたこの本、なんて「今」にぴったりな本なのでしょう!
P41に書かれていた「信ずるという言葉を使わない」という言葉にくぎ付けに
なりました。
   信ずるという言葉は使わない。なぜなら、信ずるといえば、その世界を
   固定することになるし、信じないといえば今ここで起こっていることを
   切り捨てることになる

と書いてあります。

今彼女はどこで何をしているのでしょう?
気になって南山大学のHPを調べてみました。心理人間学科の学科長として
ご活躍中のようです。
その心理人間学科のHPをみて、また素敵な言葉を発見.

<以下南山大学心理人間学科教員一覧のグラバア俊子さんのページより抜粋>
  人間の持つ三つの叡智、すなわち
   (1)頭の叡智ー意思を生み出す叡智、
   (2)心の叡智ー関係を生み出す叡智、
   (3)からだの叡智ー出会いを生み出す叡智、
   というモデルを用いて、三者の関係性を明らかにし全人的な人間理解を
   試みる。


なんだか、人間て素敵だな
自分て、世界の何かとつながっているんだな
グラバア俊子さんと知り合うことは無いだろうけれど、なんだか嬉しいな。
そんなホンワカした気持ちになれた今日の出来事でした。

「場」の作り方

研修の講師をする人は、研修開始からの10分をどう過ごすか?ということに
ついてそれぞれの人が戦略を持っていると思います。
この10分は、研修開始の硬い雰囲気を打ち砕き和ませるアイスブレイキング
のスキルの見せどころです。

ある人は、研修は開始前からすでに始まっていると考え、席に座った受講生に
気軽に声をかけたり笑顔をかわしたりして、研修開始前から「場」を作ってい
くでしょう。
ある人は、自己紹介のところに力をいれて受講者を引き付けるかもしれません。
また、最近のニュースや季節の話題など受講者と共通の話題などを持ち出して、
場を作っていこうとする人もいるでしょう。
ちょっとしたジョークを入れて笑いをとることが得意な人もいることでしょう。

私自身もいろいろとやってきましたが、ここ数年試行錯誤の末、自分なりに
つかみとった「場」の作り方をご紹介したいと思います。

●まずは自分のマインドセット:
 「場」をつくらなくちゃ!」という気持ちを手放します。

 研修の初めは、自分も受講生も初めてこの「場」に集うのだから、「場」が
 出来ていなくてあたりまえ。自分だって緊張しているのだから、受講生が緊張
 しているのは当たり前。そんな感覚をもちながら受講生の前に出ます。

●受講生と協力して「場」をつくっていきます。 
 「皆さん、今どんな気分ですか?」
 「この研修に何を期待していますか?」
 「今日の一日で何をつかみ取りたいですか?」

 場に問いかけ、場と対話をしていくことで、自分自身もリラックスしてきます。
 受講生に協力をしてもらいながら、場が開かれていくのはとても気持ちのよい
 ものです。

●講師としての「場」への期待を述べます。  
たいていの場合、ここで何でも質問してくださいね~となるのです。

このスタイルに行きつくまでに、本当にたくさんの経験がありました。
その一つ一つを振り返っていくうちに、あるとき私の中に学習が生まれたのです。
私が「場」をつくろうと努力するより、受講者のパワーを使った方が数倍ラクだ
し、数倍楽しいし、数倍時間もかからない、そんな学習です。


自己紹介も、季節の挨拶も、気のきいたジョークもいらないとてもエコな
場の作り方です。もし気に入ったら、是非試してみてください。

「場」の不思議

今日は、「場」の不思議について考えてみました。

 触れてはならない話題が出た時、一瞬にして場が凍りついた
 発言者の涙を見て、場に共感の輪が広がっていった
 質問に答えられない発表者を見て、場にどよめきがおきた


こんな経験は誰しもが持っていることでしょう。
こんなとき、「場」には何が起こっているのだろう?
「場」の何が反応しているのだろう?
思考のスピードを超え一瞬にして場が変わってしまう、そんな不思議な現象に
ついて考えてみました。

私なりに考えてみた今のところの持論です。

 「場」には、何かしらの関係性をもった人たちが参加している。
 そこに集まった人々は、色々な考えや感性を持っているわけだけれど、目に
 見えなくてもその人達に共通の意識がその場には存在している。
 何かが、その共通意識に働きかけると、そこに参加している人全員に同時に
 変化が起こるので、場が一瞬にして変わる。


私たちは「場」にある共通の意識に働きかけることで、「場」と対話できる
のだと私は思っています。

「場を見る」「場にゆだねる」「場を信ずる」「場の流れを変える」
これらはチームのファシリテーションをする時に良く使う言葉です。こうした
「場」を扱う能力はファシリテーターでなくとも重要だと思うのですが、さて
これは能力として説明するとしたら、何と言う名の能力なのでしょうか。

KY(空気が読めない)に対抗して何か言葉を作り出したいと思うのですが・・・
うーん、考えてみましょう。
どなたか、いい案あったら教えてください。

教えずに教える

2011年元旦の朝日新聞第一面から飛び込んできたこの言葉・・・
「答えは対話の中に」という大きなタイトルで、北九州市の小学校6年生
国語の先生の「教えずに教える」授業の様子が紹介されています。

ハーバード大学のサンデル博士のソクラテイック・メソッド、
K高校K先生の物理の授業
そして朝日新聞一面を飾るこの記事
そして、「教えないで教える教授法」を生みだしたい私

確かに流れる大きなうねりの中に私もいるのだと実感しました。

このうねりは、
   見えている世界を広げることに
   自分の信念に問いかけることに
   判断することから離れることに

向かっているに違いありません。

2011年、この流れが何処に向かうのか
      この流れにどう寄り添うのか
      この流れをどう泳ぐのか

ゆっくりゆっくりと流れに身を任せてみたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。

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