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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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嘘と誤解

先週のこと。ビートたけしのTV番組に何とハーバード大学のサンデル教授が
出演していましたそこで繰り広げられた白熱教室の様子です。

たけしさんの映画がとてもつまらなかったという前提のもとに、これをどう
たけしさんに伝えるか?
面白いと言えば嘘になるし、つまらなかったとは言えない。
そんな状況で、サンデル教授が「自分は嘘は絶対に言いません」と前置きをし、
こんな実演を見せてくれました。

サンデル教授「私はこんな映画見たことないと思いました! 人生初です!」
たけしさん 「良かったのかひどかったのか、どっちですか?」
サンデル教授「信じられないような映画でした!」

こんなやり取りの後に、18世紀の哲学者エマニュエル・カントの考え方を
紹介していきます。

嘘をついてはいけない。けれども嘘をつくのと、相手に誤解を与えることに
は大きな隔たりがある。・・・つまり本当のことを言わない方がいいケース
では、言葉を選んでこんな配慮も時には必要・・・ということのようです。

私の注目は、サンデル教授の進め方です。こんな感じでした。

是か非かを問うようなテーマを投げかけ、「皆はどう思う?」と問いかけます。
まずは是の人の意見を聞き、何故そう思うかを聞きだします。
何人かに聞いて意見の出揃ったところで、こんどは反対意見を聞いていきます。
  そして反対意見の理由も聞きだします。

こうしたやり取りの間サンデル教授は自分の意見をはさんだり、自分の判断を
はさんだりせず、ただひたすら「場」にある考えを引き出しています。

そして「場」にある材料が出揃ったところで、それを使いながら、カントの哲学
の話に結び付けていくのです。そして哲学というのは日常の思考の中にとけこんで
いるとても身近なものなのだ・・・と締めくくります。

「教える人」は何が良いとか正しいとか一切言わずに、しかし皆の腑に落ちる。
まさに「教えずに教える」教授法なのではないかと思いました。
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経験学習の敵

自信なさげな表情、斜に構えて向き合おうとしない態度、おちゃらけて逃げ
ようとする人、不安そうな発言、逃げを打ちながら遠まわしに話す人・・・

誰しもがどこかで体験したり目撃したりする光景ではないでしょうか。

その人達を支配しているのは‘自己無力感’
  ・私にはそんな力がない
  ・自分に出来るはずはない
  ・自分はやりたくない
こういう状況では、経験からより良く学ぶことはできません。
  ・ほら、やっぱりダメじゃないか
  ・思ったとおりだ、やらなければよかった
とばかりに、経験からネガテイブな学習を引き出してはそれを強化していく
ような状況が起きてしまいます。経験学習の負の側面です。

経験学習の大敵、それは自己無力感。
 経験からよりよく学習できる組織を作ろうと思ったら、まずは1人1人に潜む
 自己無力感を自己信頼や自信に変えることから始めなければなりません。

 これって、言うは易しですが、実際には大変な話です。
 そんなの出来ないよ~と思う心、それもまた自己無力感。

時間はかかるけどきっと出来る。
 8年前から継続して研修をしているY社のリーダー達はこの数年、素晴らしい
 成長を遂げています。一人の成長はどんどん他者にも伝播していきます。
 彼らは私に、
 「時間はかかるけどきっと出来る」という確かな自信を与えてくれました。

人の育成は、
 ダメだ、無理だ、無駄だ、と思うその人の心に宿った「自己無力感」が
 最大の敵なのだということを自分の肝にも銘じておこうと思います。


ひともめごとに春遠のく

今朝の新聞の’天声人語’は、こんな言葉で締めくくられています。

ひと雨ごとに春暖まるが、ひともめごとに春遠のく

民主党のドタバタ劇を憂えてのこの言葉。
首相交代を条件に予算案を通す・・・・?
この信じられない報道に、日本の政治を担う人達の意識レベルはまだ戦国時代
なのかもしれないと思ってしまいます。
国民の1人である私も何らかの形でこの状況に関与しているはずです。

そういえば、’ひともめごとに春遠のく’を私もどこかで体験しています。
そうそう、私のこれまでの人生の中で何度となく目撃してきたこの感じです。

  努力しても努力しても、どこかで崩れちゃう
  頑張っても何かに踏みつぶされちゃう
  やればやるほど泥沼に足を突っ込むようなこの感じ


そんな組織では ’成功の循環’が逆回りにまわっているように思います。
※成功の循環とは、MITのダニエル・キム教授の唱えたモデルです。
  ⇒http://www.keikengakushu.jp/learn/model.html

成功の循環が逆回りすると・・・
  結果の質の低下が行動の質の低下を招き、
  行動の質の低下が思考の質の低下を招く
  思考の質の低下は関係性の質の低下を招き、
  関係性の質の低下は、さらなる結果の質の低下を招く。

この逆回りモデルには何が宿っているのだろう?  
  
  誰かのせいにする他責思考
  支配欲や自己顕示欲、究極の我儘、
  無力感、そして逃避

ここまで書いてランチタイムに。食後のコーヒーを飲みながら
 何気なしに広げた新聞の勝間和代さんのコラムに目がとまりました。

 ‘問題は悪意よりも無知から生じる(ハンロンの剃刀)’

問題が起きた時、相手に悪意がある時より問題が相手の無知による場合の方が
解決に時間と手間がかかる・・と書いてありました。

あ、これが一番大きいかも・・・と妙に納得です。

つながり(2)

今朝の朝刊に、「つながり」を感じさせるニュースが二つ。

一つ目はエジプトデモを呼び掛けた30歳の男性の話です。

民主化や失業問題を訴えるデモを、インターネットの交流サイト・フェイス
ブックで呼びかけたところ、1月14日にチュニジアの政権が倒れたことが人々
の勇気に火をつけ、賛同者が7万人に膨れ上がったそうです。「もはやこれは
抗議活動ではない、革命だ。誰にも止められない」と書かれていました。

  エジプトが本当に自由で民主的な社会になるまで僕は戦う。あきらめない。
  これまでもいつか変化は来るとじっと信じていたのだから・・・
  と男性の思いがつづられています

二つ目は「今自殺を考えているあなたへ」という投書が、1人の男性の自殺を
 思いとどまらせたという話。投書の主は、夫を自殺で亡くした女性です

  
  「死ぬ勇気を持つ前に生きる勇気を出して。誰にでもいいからSOSを出して」
  ご自身の経験に基づいた女性の切実なメッセージが一人の男性を救ったのです。

つながりってなんだろう?
  その正体は「思い」なのではないだろうか?
  「思い」は、一瞬にして大勢の人に伝わり
  「思い」は、一瞬にして変化を引き起こす

私の「思い」ってなんだろう?
  それを仕事にのっけるとどんな形になるのだろう?
  それを人生にのっけるとどんな形になるのだろう?

このエジプトの男性のように、「思い」をもっともっと思い続けてみよう。
この投書した女性のように、「思い」を臆することなく発信してみよう。

つながりは「思い」が創りだすのだと思いました。
 「思いのパワー」に改めて感心した火曜日の午後。 


昨日降った雪が庭に残っていて、なんとも風情があります。

つながり

このところ、Twitter や Facebook などの‘つながる’ための場づくりが
とても活発です。
登録も利用も簡単で、誰にでもオープンでしかも無料。
こんなシステムを考えた人はすごいと思います。

もし戦国時代にTwitterがあったら、確実に歴史は変わっていたでしょうね。

ウン十年前にインターネットに出会ったときはホントにビックリしましたが、
この流れはどこまで続いていくのでしょうか?
つながり求めてくっつきあったり、増殖したり、分裂したりする動きは、細胞の
働きに似ています。これに近いことがインターネットを通して社会の中に起きて
いるような気がしてなりません。

そんなことが起きている一方では、「無縁社会」が広がり、家庭や社会に
居場所がない・・・そんな人達も増えています。
13年続けて自殺者が三万人を超える日本。

今私たちは何を学べばよいのでしょうか?
おそらく、‘つながり’は、今の我々に与えられているテーマなのだと思います。

昨日テレビで見た「沈まぬ太陽」のワンシーンを思い出しました。
奥様を病気で亡くし、さらに日航機の事故で息子一家を亡くして天涯孤独に
なってしまった男性がお遍路に出かけます。宇津井健さんの扮するその人の姿は
とても印象的でした。

  大切なつながりが破壊される苦しみは想像を絶します。
  人はお遍路をしながら、自らの傷を癒していくのでしょうか。
  全てを歩き通してお遍路から戻る頃には、どうなっているのでしょう?

  過去のつながりを振り返ることで、また何かにつながっていくエネルギーが湧いて
  くるといいのですが・・・


つながりの中で生きている私たちは、またつながりの中で成長していくのだと、
しみじみ思った次第です。

今あるつながりに感謝。
つながっていくことの意味をもう少し考えてみたいと思います。

言葉は’個と場’をつなぐもの?

先日メールを書いていて‘ことば’と打って変換したら、何と‘個と場’と
出てきました。
最近、職場の学習についてテキストを作っていたので、どうやら‘個’と’場’
が拾われたのだろうと思いますが、しばらくその変換をみて、手が止まってし
まいました。なるほど、言葉って確かに‘個’と‘場’をつなぐものですよね。

我が家には、家族の関係で時々外国人が来ます。
私は英語はからっきしダメなのですが、コミュニケーションしたい気持ちは
人一倍が強いので、トンチンカンでも何とかしゃべろうと頑張ります。
が、結局誰かの助けが必要になります。
もっとしゃべりたいのに~!

まさに言葉が通じないと‘個’と‘場’がつながらないのです。

なんで神様は、こんなに不便なシステムをつくったのでしょうか?
どうして国によって言葉が違うのでしょうか?

まあ、結論から言えば、コミュニケーションを取りたければ英語を勉強する
しかないのですが、本当に不便です。ましてや深いコミュニケーションを取り
たければそれぞれのお国の言葉が必要になってきますから、大変です。

科学が進歩したら、例えば英語を脳に直接インストールする技術が出来るので
 しょうか?
 でもそんなことが出来たら、私たちの経験や学習も、実際にしていなくてもイン
 ストール出来てしまいそうです。振り返ったり概念化したりする面白みがなく
 なってしまい、それじゃつまらないです。

    ふむ、振り返りや概念化は、超、創造的なプロセスなのだ・・・・
    とここで振り返りがおきました!これが本日最高の気付きかも。


では、テレパシーの技術が発達したら、言葉の壁は無くなるのでしょうか?
 テレパシーなら、言葉にとらわれず、感情や意味のレベルまで伝わりそうな
 感じです。個人的には、テレパシーに賭けたいです。現に一部の人たちには
 テレパシーの能力があるわけですから、一般人の能力開発も夢ではありません。

早くそういう学校ができないかなあ・・・と怠け者の私が期待をしています。
  
学校ができるまでの間は、我慢をするか、あきらめて勉強するか、
どちらもいやだなぁとブツブツいいながら考えている今日この頃です。
でも、コミュニケーションをとりたい気持ちだけは変わりません。

箱庭づくり

何日かまえから、‘箱庭’という言葉が私のブームになっています。

 研修という場は、箱庭のようなもの。  
  研修室という箱庭の中に講師がいて受講生がいて一緒に過ごす。
  箱庭という守られた場があるからこそ、人々は安心して学べる。
 
 職場も箱庭のようなもの。  
  決められた業務を遂行するために、リーダーがいてメンバーがいて、人々は
  毎日毎日一生懸命働いている。
  職場という箱庭があるからこそ、安心して働くことができる。

 家庭も箱庭みたいなもの。  
  お父さんがいてお母さんがいて、子供が生まれて子供が育って、そして
  いつしか子供たちは巣立っていく。
  でも私たちは家庭という箱庭があるからこそ、安心して生きていける。

それぞれの箱庭の中に、経験が詰め込まれています。
それぞれの箱庭の中に、喜びや悲しみ楽しみや苦労などが詰め込まれています。
それぞれの箱庭に、変化があり、成長があり、ライフサイクルがあります。

そんな箱庭を破壊して新たな何かを創造することもあります。
そんな箱庭に別れを告げて、その箱庭を外から眺めることもあります。
こんな箱庭が欲しいなあと、新しい箱庭をゼロから作ることもあります。

人生って、箱庭づくりの連続?

箱庭のなかで一生懸命経験から学ぶことも大切だけれども、
  箱庭づくりについても経験から学んでみたい、と思う今日この頃です。
  人生の庭師になりたい!なんて言ったら、大げさですがそんな気分です。

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