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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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「分かった」を形にするには

この大震災で、日本中の人が『何かが分かった』体験を積んでいると思います。

  当たり前の生活の有難さ
  モノやエネルギーの浪費
  被災地の人々の勇気と強さ
  世界中から寄せられる支援の有難さ

  原発事故のこと
  政府の対応
  防災計画や復興計画のこと
  国民全体で分かち合わなければならないこと
   
私自身を例にしても、数え上げればきりがないほどの様々な視点で、沢山の
『分かった』が生まれています。おそらく一億3000人の日本人の『分かった』
を積み上げたら、ものすごい量になるでしょう。
あらためて経験から生まれる学習の力はすごいと思います。

しかし、この『分かった』を未来につなげるためには、もう少し時間がかか
りそうです。

  復興計画の会議の人数が多すぎて、何も決まらない・・・
  復興計画の話と財源の話が入り乱れていて、話が進まない・・・

こんな報道を聞いていると、悲しくなります。
  あ~あ、日本の弱点が露呈しています。
  ホント、話し合いが下手な日本人です。
  でも、きっとこれも試練なのでしょう。

今後復興に向けて沢山の話し合いの場があるはず。
これじゃあダメだから、もっと上手に話し合おう!
というように、時代が彼らを育ててくれるでしょうか?

国を引っ張っていく人達には、

  被災した皆さんが頑張るのと同じくらい、
  がれきの山と戦う自衛隊の皆さんと同じくらい、
  命がけの原発の復旧作業にあたる皆さんと同じくらい、


復興に向けた話し合いを上手にするように頑張って欲しいです
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研修現場の不思議

今日は、久々に友人との楽しいランチでした。
研修講師をやっているその友人は、ただいま新人研修の真っ最中。ある研修での、
とっても疲れた出来事を話してくれました。

なかなか上手く進んでいた研修に、突然しかめつらの人事部門の方が乱入(?)。
講師も受講生も固まってしまい、回復するのがとても大変だった、というわけです。
そりゃ、疲れるわ~。ご苦労さま。

しかし、実に良くある光景です。

人事の方は、
  自分の計画した研修が、自分の思ったように進んでいるか?
  自分の発注した講師は、ちゃんとやっているか?
  受講生は真面目に取り組んでいるか?
それらを確認したいだけなのでしょう。

  真面目な日本人。
  自分の職責を全うしたい人々。
  効率化を重んじて始まった分業が生む、様々な分離感。
  成果主義に偏った結果見られる部分最適。


友人との話からいろいろなことを連想しました。
そして、それは、今の政治家達の在り方にもつながっているように思います。
今の日本の標準レベルでの出来事、ということでしょうか。

そう言えば高校教師のK先生が、とても面白いことを言っていました。
学校現場でも、『教えるタイプ』の授業と、『生徒の学習中心』授業があるそう
ですが、その授業を視察する方達について、こんなことをおっしゃっていました。
 『教えるタイプ』の授業では、先生の教え方ばかり見ている。
  本当は、生徒がどれだけ理解しているか、生徒の方を見てほしいんだけど・・・
 『生徒の学習中心』の授業では、生徒のことばかり見ている。
  本当は、そういう場を作っている先生が何をどうやっているのかを見て
  欲しいんだけど・・・


全く同感です!

研修や教育現場のチグハグ、早く何とかしたいです。
 教育や人材開発という分野でも、今変革が求められているのだと思うのは私だけ
 でしょうか。

思考の異変

この一カ月余りで、自分自身の思考に沢山の異変が起きていることに気づきました。

最初の異変は、大震災が発生してからの一週間。
毎日流れてくる大量の被災地映像の前で、思考停止状態になっていました。

そしてその次の異変は・・・
4月10日にフランスから戻ってからの3~4日間。
単なる時差ぼけでは片付けられないような、変な思考状態が続きました。

  朝起きると、自分がどこにいるのかわからない。
  あれ、今何しているんだっけ。
  ここはどこ? あの暗闇にうごめく男は誰?(主人でしたが・・・)
  みる夢も半端ではない。
  延々と長いストーリーの夢をみたり、
  見たこともない人達と一生懸命何かを話し合っていたり、
  夢の中の話なのか現実なのかを、夢の中で考えていたり


かつての私は、自分の思考は鉄壁のごとく明快だと思っていました。

  あ、しかし2年くらい前に、一回思考が壊れたことがありました!
  ストレスフルな状況の中で、何かがプツンと切れたのでしょう。
  記憶の倉庫にきちんと格納されているべきいろいろな色々な出来事が、
  ポワーンポワーンと、浮かび上がってしまい、ほんの3時間くらいですが、
  生きた心地がしなかったことがありましたっけ。
 (その状態は、『タロットカードのカップの7』の絵そのものでした)


思考こそ命!

これまで私は、そんな風に思って生きていたのかもしれません。
しかし、思考はあくまでも人の脳の中でつくられるもの。
思考偏重の生き方は止めようと思います。

今回の津波の被害や原発の事故からも、私たちの思考には限界があるよ、、と
いうメッセージを感じています。しかし一方では、私たちの心には限界がない
ことを教えられているようにも思えます。

少しずつ、少しずつ、自分も回りも変化していくことを喜びに変えていけたら
  いいな。

気になっていたこと

何となく心に引っかかる出来事がありました。
そう、あの地震発生後の月曜日。
被災地の状況や計画停電のニュースでテレビにくぎ付けになっていたあの頃。

ピンポーンとチャイムが鳴り、1人の感じの良い青年が我が家の玄関に立って
いました。

 『あの~、僕新入社員の実習期間なんですけど~、、各ご家庭を訪問して
  便利なお掃除道具のご説明をさせていただきたいと思いまして~』

私の中でどこかがピキッと反応して、
 『すみませんね。今そういうこと考える気になれないので・・・』
とお断りしたのでした。
そのシーンが、ずっと心に引っかかっているのです。

訪問販売や電話セールスはこれまでにも何回もお断りしています。
訪問販売員が来た。それを断った。ただそれだけの事実なのに、なんで心に
引っかかっているのだろう?とずっと考えていました。

振り返ってみると、
この非常時にどこかの会社の誰かが、新入社員に訪問販売の実習を課している、
というその事実に対して、私の中に大きな違和感が芽生えていたに違いありません。

自分自身の中にある『こんな非常時に』というフィルターをとおして目の前の
事実を解釈した時に、青年の背後にいるであろう上司や会社に対してなんとも
言えない腹立たしさと違和感が湧きおこったことをおぼろげながら思い出しました。

私たちは自分の枠組みの中で、物事を認識するのだということを、改めて考え
させられました。
しかし、振り返ったことで、浮遊霊のようにさまよっていたあの日の経験が、
ちゃんと成仏したような気分になりました。

あの青年、今頃元気に働いているかしら・・・

待つことと観ること

このブログを書き始めてからもうすぐ一年が経とうとしています。

一年前に比べると、『具体的な経験』の量と質が大きく変化していることに
気づきます。未曽有の災害、原発事故。その中で天災と人災が織り交ぜ会い、
まさに日本中が団子になって学習を迫られている・・・そんな気がしてきます。

  整理し切れないほどの経験。
  咀嚼できないほどの経験。
  そんな中で、1人1人に何ができるかを考え始めた日本。

  

3月23日から4月10日まで、フランスで出産した娘のもとに滞在していました。
そこでも、沢山の『具体的な経験』が私を待っていました。

  言葉の通じない社会での自分
  価値観の異なる人達の中で生ずる違和感

待つことと観ることに徹していた18日間でした。
フランスでの経験は、私にこんな持論を与えてくれました。

  思いやりとは、自分の観点から思いを届けることではない。
  真の思いやりとは、相手の思いにきづくこと。
  そのためには、ひとまず自分の思いを保留して、待つことと観ること


自己主張型の私が、待つことと観ることの具体的体験がつめたのは、ひとえに
言葉の壁があったららだと思います。(瓢箪から駒!)
フランス滞在で学んだ、待つこと、観ることの大切さは、今の日本の状況にも
適用できそうです。

この文章を書いている今も、余震に揺られています。
原発事故の収束方向も見えてきません。
いつまで続くのか・・これからどうなるのか・・
しかし、こんな思考ばかりでは不安を増幅させてしまいます。

私たちにできることは、待つこと、そして観ること。
そして1人1人に何ができるかをじっくり考え、実践すること。
そんな風に思いながら、毎日を過ごしてみようと思います。

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