経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

現場連動型研修

今、設計中の研修があります。一年間のロングスパン研修なので、出来るだけ
現場に連動するような仕組みを入れたいと思って、頭をひねっています。
研修で学べることなどごくわずかです。それらを現場で実践し、現場での経験
から学習するというサイクルを組み込んでいきたいと思っています。

対象者は、これまであまり研修を受けてこなかった現場社員で、仕事をする上
での基礎力アップがテーマですから、内容的はいたってシンプルです。
主な内容は、次のようなものです。
 
 ・仕事の基本
 ・コミュニケーション
 ・ビジネスコミュニケーション
 ・CSの基本
 ・苦情・クレームの応対
 ・職場のチームづくり
 
この研修の目的は、研修で学んだことをどれだけ現場で活かせるか?という
現場実践と現場定着の仕組みと仕掛けをつくり、組織に落とし込んでいくこと
なのです。

従って研修参加メンバーの上司によるOJTを通して、彼らの学びを現場の学び
に変えていきたいと思っています。
つまり、この研修は、受講者だけのものではなく、その上司のOJT実践研修を
兼ねているのです。
上司である彼らには、昨年OJT研修をやっているので、その実力発揮の場を
ここに仕組んだわけです。

私は、このように現場層とリーダー層を同じテーマで走らせる研修を2層式研修と
呼んでいますが、この2層式でロングスパンに研修を走らせるのは初めてなので、
とても楽しみです。
私は研修をするのも嫌いではありませんが、こういった仕組みや仕掛けを考えて
いる時が一番ワクワクします。

・やらされている感じではなく、自分達がやりたいと感じるのはどんな仕組か?
・研修のためにではなく、仕事の自然な流れの中で実行し、彼らの役に立ち、
 それがずっと定着していくような仕掛けって、どんなものなのか?
・職場学習が最大になるためにはどうすればよいか?

これまでは、長くても4カ月程度だったので、一年間という長期間研修は、
私の学習の場でもあります。どんな景色が見えてくるのでしょうか。
経験学習を取り入れた人材開発についての学びも増えることでしょう。

神様は、必要な時に必要な場を提供してくれるものだと、感謝感謝。

スポンサーサイト

違いと共通点と

講師をしていると、思わぬ質問がくることがあります。
「PDCAサイクルと経験学習サイクルは、どこが違うのですか?」
こんな質問を受けたことがありました。私の中に二つを比べるという
発想がなかったので、ビックリしたのです。

えーと・・・と違いを考えながら、とっさに
‘前者が業務活動のプロセス、後者は思考プロセスと考えてみたらいかが
 でしょうか’
と答えたのでした。質問者は満足した様で、その時はそれで終わりました。

しかし、この時私は二つの違和感を感じていました。
一つは、この質問に対する違和感です。
 PDCAと経験学習を比較すること自体が、「リンゴ」と「バラ」を比べて
 いるような違和感です。

二つ目の違和感は、こんなに簡単に答えて終わらせて良かったのだろうか?
 というような自分自身への違和感です。

私の答えは、リンゴとバラの例で言えば、
  リンゴは果物ですが、バラは花ですね、といったような感じです。
しかしリンゴもバラの共通点は沢山あるわけですから、
  リンゴもバラも、植物という点では同じですね。 
  リンゴもバラも、私たちを喜ばせてくれるという意味では同じですね。
  リンゴもバラも、被写体としてよく扱われるという点では一緒ですね。
という視点もあったはずなのです。

そう考えると、
 ・経験学習サイクルもPDCAサイクルも、改善や成長に向けた循環システム
  ですね。
 ・改善や成長に向けたプロセスという意味では一緒ですね。

こんな言い方が出来たのかもしれません。
その視点に立てば、経験学習とPDCAをつなぐ新たな発想が浮かんできます。

改めて違いにばかり目が行きがちな、私たちの思考に気付いた次第です。
違いを探せばそこで終わってしまうけど、共通点を探せば何かが生まれる。
一年前に生じた違和感は、私にこんな気付きをもたらしてくれました。



瞬間の自分に意識を向ける

もし私たちが、瞬間の自分に意識を向けられたら、どんなに素晴らしいで
しょうか。
いろいろなことが、とても上手くいくのではないかと思います。

例えば、ゴルフ
素振りは上手くいっているのに、いざ打つと力がはいって、全然素振り通り
ではない、、なんていう経験は良くあることです。
なんでボールがないと出来ることが、ボールがあると出来ないのだろう!

これって、人との関係でも同じことが言えそうです。
もっと優しくしようと思っていても、目の前のその人と話し始めると、全然出来ない。

もし瞬間瞬間の自分に意識が向けられたら、
あれ、素振りより力がはいっているよ 
と自分で自分に注意できるのに。

もし瞬間瞬間の自分に意識が向けられたら、
  あれ、ちっとも優しくしていないよ
と自分で自分に注意できるのに。

あとから振り返って気づくのも悪くはないけれど、その瞬間に振り返れた方がもっと
生産的です。

 あ~したい、こ~したい
 これはいやだ、あれはいい、
 こうあって欲しい、こうあって欲しくない

こんな自分の中の欲求を野放しにしていると、それらは直接的に行動に現れます。

こんな風におしゃべりをする思考を黙らせて、瞬間瞬間の自分に気づけるように
 なりたいものです。
 そして、瞬時になりたい自分に戻ることが出来れば、経験から学ぶ学び方も、
 一段とパワーアップするはずです。

出世の石段

先日、お友達のYさんと、愛宕神社の出世の石段を上ってきました。
その昔、四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が馬でかけ
上ったというこの階段。
「出世」ということに特段の興味があるわけではないのですが、なんとなく
登ってみたかったのです。
急こう配の石段。途中に踊り場もなく、一気に登らなければなりません。

出世の石段

とにかく登り始めた私でした。もともと高所恐怖症だった私に不安がなかったわけ
ではありません。しかし、とにかく登り始めたのでした。

高所恐怖症対策として、石段の数を数えながら登ることにしました。
左側の手すりに手をかけながらゆっくりゆっくり登ります。
ともすると恐怖心に襲われ平行感覚が奪われそうになるので、石段を見つめ、
石段を数えながら神経を集中して登ったのでした。ですから、いつになったら上り
きるのか、石段から視線を外せない私にはまったく分かりません。

そうこうするうちに、天上の方からなにやら話し声がしました。それはあたかも
天の声のようでした。
その声によって、私は階段がもうすぐ終わることを知ったのでした。

そして階段を登りきった時・・・・
そこには平らな世界が開けていました。参拝する方々ののどかな風景。
青い空と緑の木々。

「出世」て、こんな感じなんだ・・・
一生懸命階段を登りきった時に、それまでと全く異なる世界を見ること。
自分の知らなかった世に出るから、出世と言うのだ・・・

今、私には、一生懸命登ろうとしている階段があります。
登りきった時に、何が見えるのか??
とても楽しみです。


感情の巨大エネルギー

日曜日の夜、NHK「虐待カウンセリング~作家柳美里の500日」を見ました。

押し込められ、抑圧された感情が、ある日ある時暴発して虐待という形を取る
のだということを改めて理解しました。そして、その抑圧された感情は、虐待
という行為をとおして、親から子供への引き継がれていくのだと言います。

抑圧された感情は、すさまじい怒りの感情に変化します。

    

この番組を見ていて、私は大震災直後の福島原発を思いだしました。

  水素爆発して、むき出しになった原発。
  何をどうすれば温度が下がるのか、誰にもわからない。
  暴れ狂う原発。

私には原発が、巨大モンスターのように思えたのでした。
科学がつくったモンスター。
人間は原発を育てるだけ育てたけれど、怪我をしたら直し方が分からない。
だから苦しい苦しいといって暴れている。
その暴れる様をみて、醜いといって世界中から嫌われている。
もし原発に心が宿っているとしたら、どんなに悲しいだろう。

    

虐待を引き起こす感情のエネルギーには、すさまじいものがあります。
番組を見ながら、何故か、荒れ狂う原発とオーバーラップしたのでした。
巨大な怒りの底には、深い悲しみが沈んでいるのかもしれません。

虐待に苦しむ人たちはとても多いといいます。
そして、虐待の連鎖を止めることが、とても大切だということです。

苦しみが苦しみを生まないような世界にしたいと心から願っています。

自己本位の二つの側面

ちょっと乱暴ですが、人との関係性をつくる時の態度を二つのグループに
分けるとしたら、自分優先の人と相手優先の人がいると思います。

自分優先の立場を取る時に、人は、
 自己を主張し
 自分中心に状況をコントロールしようとするでしょう。
相手優先の立場を取る時に、人は、
 自分を主張せず
 相手中心に自分を合わせていこうとするでしょう。

自分優先の人に対して人は
 自分軸が明確、リーダーシップがある、と言うかもしれないし、
 自分勝手だ・我儘だ・人の話を聞かないと言うかもしれません。
相手優先の人に対しては、
 優しい人だ、共感力がある、協力的だ、と言うかもしれないし、
 自分の意見を持たない人だ、依存的だ、と言うかもしれません。

誰の中にも、両方の態度があると思います。
私たちは、その態度の現れ方や強弱によって「外側から見たその人」を
定義しているのです。

しかし、私はある時に気が付きました。
 自分優先も相手優先も「自己本位」という面では、実は同根なのだと。


自分優先は、自分を大切にするという意味で「自己本位」です。
ならば、相手優先は相手を大切する「相手本位」でしょうか?
相手優先にある根っこは「相手から見える自分を大切にする」という
「自己本位」なのだと思うのです。

だからどちらも「自己本位」。

相手優先は得意(?)だけれど、相手本位は本当に難しいです。
家族や仕事の中でちょっとした感情の揺らぎやブレが起きる時、
私たちはいつもいつも、ためされています。

何かが上手くいかないときは、自分自身は「相手優先」か「相手本位」か
 と問いかけようと思います。

参加するということ

大震災から明日で2か月が経ちます。
多くの方が、自分の出来る方法で被災者支援や復興に参加している様子が
TVや新聞から伝わってきます。

自衛隊やボランテイアなどの活動だけでなく、「自分たちにできること」
を選んで参加している方たちの映像が流れてきました。

  被災者を励ますために歌を歌った保育園児
  被災者の話を歌にしてプレゼントしたシンガーソングライター
  無料で法律相談を続ける弁護士

これらは、ほんの一部。
数え切れない位の方たちが、被災者支援や復興に「参加」しています。

参加するということ
   それは、そこに身をおくこと。
   それは、そこの一部を担うこと
   それは、そこに心を寄せること

あれはあれ、これはこれ・・・こんな風に分離していた社会が、
自己本位な考えがで自己と他者を分離しようとする社会が、
沢山の参加の形を通して、つながろうとしているように感じます。

参加するということ
   それは、共に学ぶということ
   それは、分かち合うということ
   それは、部分ではなく全体を感じること


復興は始まったばかり。これからが正念場。何年かかるのでしょうか。
5月9日現在で死亡 14919名 行方不明 9893名
1人1人にできることは限りがあるけれど、
失われた多くの命を無駄にしないためにも、できることから、そして
せめて心だけは絶対、参加し続けたいと思います。

経験学習のバロメーター

私たちは、誰しもが幼いころから経験学習を積み重ねています。
しかし、その学び方はひとそれぞれ。
では、上手く学べているかどうかは、どうやって知ることができるのだろう。

ふとそんなことを考えてみました。

経験から学ぶということは・・・
  何を学ぶかを自分が選べる
  何を学ぶかを自分が作り出せる
  だから成長を感じられる
  
経験からよりよく学ぶって、自分が自分の運転手になること。
だから、上手く学べていれば、人生は充実感と幸福感に包まれているはずです。

自分自身のこれまでの人生はどうだっただろうか? と振り返ってみました。
  幸せとは思えない時もあったし、随分回り道をしたような気もする
  何故よくない状況を何年も抜け出せなかったのだろうか・・
  あの時は、何故他の考えが浮かばなかったのだろうか・・・

仕事が楽しくない、身体がつらい、生きているのも重苦しい、人生楽しくない
こんな時は、きっと経験から上手に学べていないのだと思います。

私たちの幸福感や安心感は、よい学びが得られているかどうかのバロメーターなの
かもしれません。ですから、何かが上手くいかない時やつらい時、苦しい時は、
自分の学び方を振り返るバロメーターなのだと思います。
  
  振り返るためには、しがみつかないこと。
  振り返るためには、手放すこと。
  静かに自分の心に向き合うこと。


これが出来ないと、神様は時として病気などの名目で「振り返る日々」をプレゼント
してくれます。私もいっぱいプレゼントをもらいました。
せっかく経験学習に出会ったんだから、これからは神様からプレゼントは遠慮して、
自分でしっかり振り返ろうと思います。

揺さぶられる判断軸

昨日一日で、私の関心をひいたニュースです。

・20ミリシーベルトなら安全なのか?
・第一次補正予算案全会一致で可決
・8月のお盆までには仮設住宅を何としても作らせる(管さんの発言)
・小沢氏と鳩山氏は当面‘管降ろし’を自粛することで合意(ネットニュース)
・「生食用」と認められていない肉が何年も日本中に流通していたという事実
・ビンラデイン容疑者の軍事作戦での殺害のニュース

本当にいろいろなことが起きています。

自然界では、3月11日の大地震以来、余震が多発しています。
5月2日の時点でマグニチュード5以上の地震が439回
                    6以上の地震が75回
                    7以上の地震が5回

この大震災の余震のように、これからまだまだ色々なことが起きてくるよう
な気がしてなりません。自然界で起きることと無関係だと思えません。
私たちの生活や社会にも、これまでの判断軸では対応できないことが色々
起きるのだと思います。

大地が揺れ動くから、その上にいる私たちは必死につながろうとして
 いかなければならないのでしょう
いろいろなことが起きて判断軸も揺さぶれるからこそ、私たちは必死に
 考えなければいけないのでしょう。

   誰かが何かをしてくれる、
   誰かが何かを決めてくれる、
   誰かが言ったからそうする

そんな時代が終わりを告げつつあるように思います。

こんな時だからこそ、しっかり大地に根を下ろさないと
こんな時だからこそ、しっかり振り返らないと
こんな時だからこそ、向き合わないと


右往左往しながら経過していく時間の中にこそ、学びがあるのかも
しれません。今こそたくさん学ぶ時。


身近なことから

昨日4月29日は、大震災で亡くなった皆さんの四十九日に当たる日だそうです。
私も自宅でそっと手を合わせました。
東北新幹線も回復し、日本中が本格的な復興にむけて新たなスタートを切った
ような感じです。

この5月連休には各地からボランテイアの皆さんが集まり被災地の復興支援を
する様です。私にも何かできないものか…と思う今日この頃。

昨日は少し体調の思わしくない母のところで、色々な手伝いをしていました。
元気だった母なのに、なんとも弱々しくて心が痛みます。
思うように動けないので、なんだかいろいろ困っているようで可愛そうでも
あります。

一日母と一緒にいて家に戻ると・・・
何だか、私のエネルギーを全部吸い取られたような感じでグッタリ疲れてしまい
ました。おまけに、つまらないことで主人と喧嘩してしまい、
あ~最悪・・・いい年して・・・

なんであんなつまらないことで喧嘩したのだろう?
と振り返ってみました。

母の世話をすることに、とても義務的な私がそこにおりました。
  調子悪いから面倒見てあげなくちゃ・・・
  何とか問題を解決してあげなくちゃ・・・
  娘としての義務をはたさなくちゃ・・・

そんな風に思いながら母と一緒に一日いたので、クタクタになったのです。
私は誰かに当たりたかっただけ、被害者は主人!

喧嘩の原因が一件落着したら、こんな気付きが生まれました。

 ボランテイアを考える前に、目の前にいる‘困った人’に寄り添おう
 今、母が私に寄せている思いに気付いてみよう
 そのことにもっともっと感謝しよう
 
これからは義務感ではなく、母との時間を楽しもうと思います。


FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。