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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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学べる時と学べない時と

私たちは、心に余裕がある時、心が平穏な時、心が素直な時、学習者になりや
すいのではないかと思います。そういう時は不思議なことに、学習者であろう
とするだけで、いろいろな情報が集まってくるものです。
多分、学びのアンテナがたっているので、自分に必要な情報が引き寄せられて
くるのではないかと考えています。

しかし、何かが上手くいかなかったり、何かに辟易したり、怒りがおさまらない
ような時は、学びはなかなか訪れません。
同じような失敗パターンを何回も繰り返したり、いろいろなことに巻き込まれる
時など、自分が情けなくなったりするものです。
しかし、本当はこんな時こそ、私達は経験から学ぶ時を迎えているのです。

しかし、残念ながら、そういう時は振り返っても振り返っても、言い訳や自己
正当ばかりが前面に出てきてしまい、なかなか学びに到達できないものです。

学びとは、静かで平穏で素直な場所が大好きです。
私の中にある学びが降り立つ瞬間は、こんなイメージです。
  緑の草原にそよぐ風のよう、
  静かな水面に広がる波紋のよう
  雲の波間に見える青空のよう

こんな詩人のようなことを言っていても、実際の修羅場にいる時は、それどこ
ろではありません。では、どうしたらよいのでしょうか?

今のところの私の考えでは、どんな時でも思い続けること。
今の私は何かを学ばねばならないと思い続けることだと思います。
現状の怒っている自分や、疲弊している自分を、それが自分だと思わないこと。
たとえ怒りがおさまらなくても、同じ失敗パターンに辟易しても、今の状態から
何かを学ぶことが出来るはずだと思い続けることだと思うのです。


そう思っていると、時間はかかるかもしれないけれど、きっと何かが変わるはず。
学習者のスタンスとは、実際に何かを学べるかどうかよりも、そうありたいと願う
ことの方がより重要なのではないかと思う今日この頃です。
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自信喪失

私は去年まで‘質問会議’というのを教える仕事をしていました。
講座の中では、受講生の質問力をあげることも大切なミッションでしたから、
私自身の質問力についても、相当鍛練を積んでいたつもりでした。

ところが今、自分の質問力に疑問を持ち始めています。

私は自分が子育てをしている時には、世の中一般の親のように、あれを
やれの、こうしたら、あーしたら、というコミュニケーションしかできてい
ませんでした。後になって質問することの素晴らしさを知ったので、
子育てに質問を取り入れてみたくて仕方がなかったのです。

息子の孫娘が漸く3歳になり、よーしとばかりに質問をしてみました。
「お友達と何して遊んでんの?」

孫娘はちょっと考えてから、「わからなーい」と言って、ママのところに逃げ
て行ってしまいました。
あ、そうだ・・・
一カ月ぶりに会ったので、まだラポールも築けていないし、だいたい質問の
チャンクが大きすぎたのだ・・・と気が付きましたが、あとのまつり。

これまで、質問力は素晴らしいという点ばかりに気をとられていて、自分の
意見を主張したり、話したりすることの価値を軽んじていた自分に気が付き
ました。
よい質問には、それに答える力、話す力があって初めてつり合いが取れると
いうもの。質問する力と話す力は車の両輪のようなものです。


3歳の孫娘は大切なことを教えてくれました。
次回の戦略は、「ねえねえ、幼稚園のお友達のお話し聞かせて?」
これでいってみようと思います。

祈りのパワー

祈りにはパワーがあるかもしれない・・・・こんなことを感じました。

8月11日の木曜日、私たち家族はフランスに出発しました。
私達夫婦 + 息子家族は3歳の子供連れ。

成田空港に行く電車の中で、息子達がパスポートを最寄り駅のコンビニに置き
忘れたことに気が付きます。パスポートを失くしたら大変だからと、わざわざ
自宅近くのコンビニでコピーをしたのです。

私達夫婦はそのまま成田空港に、そして息子家族は、すぐにコンビニにパスポ
ートを取りに戻るも、時間的には絶望的。電車では到底間に合わないために、
タクシーに飛び乗って成田空港を目指します。
連絡を取り合いながら、空港までの交通情報をみるとあと35分という表示がで
ているとのこと。その時間では到底間に合いません。

別の便を手配しようにも、夏休みの真っただ中とあって、絶望的です。
もし間に合わなかったら、それはそれで必要なことなのかもしれない、とすでに
弱気になっていた私にも残念な思いがこみ上げてきます。

しかし気を取り直して、間に合う方に望みをかけて、祈ることにしたのです。
どうか道路が奇跡的に空いていて、間に合いますように・・・
全てが最善になりますように・・・

ところが間にあったのです。航空会社のスタッフの助けもあり、汗だくの息子が
子供と奥さんを連れて飛行機に乗り込んできました。タクシーの運転手さんの
頑張りもあり、35分のところを20分で飛ばしてくれたのです。

この事件は私に沢山の経験と学習をもたらしました。
 最後まであきらめてはいけないのだということ。
 やるだけのことをやったら、あとは祈るしかないこと。
 タクシーの運転手、空港スタッフ、そして空から見守ってくれていたであろう、
おじいちゃんやおばあちゃんがきっと手を貸してくれたのだろうということ。

こんな風にして、私達のフランス旅行は、波乱万丈の幕を開けたのでした。
8泊10日のフランス旅行は、経験がてんこ盛りでまだまだ整理に時間がかかり
そうですが、ゆっくり振り返っていこうと思います。

しかし、早く普段のペースに戻らなくちゃ!

「今が幸せ」と思えること

8月は、いろいろなことを振り返る月だと思います。
今は亡き私の父がよく言っていた、こんな言葉を思い出しました。

「幸せだと思える人が一番幸せなのだよ」

      
ふと、そうは思えなかった自分を探してみました。
  子供のことで悩んでいたあの時、
  仕事でストレスをためていたあの時、
  思うように人生が進まなかったあの時、
  先の見通しが立たなくてあせっていたあの時、
  何かに巻き込まれて翻弄されていたあの時、
たしかに、その時は、自分が幸せだと思えていませんでした。
  なんで私ばっかりに皆は心配をかけるのか
  なんで私ばっかりがこんな目にあうのか
  なんで私ばっかり貧乏くじをひく羽目になるのか
こんな風に思っていたような気がします。

たとえば、子供のことでいえば、私は何故あんなに子供のことを心配したの
だろう?と思うほど私は心配でたまりませんでした。その時の自分に問いか
けてみると、こんな返事が返ってくるでしょう。
「このままだと子供が不幸になってしまう、私が何とかしてあげないと子供
が可愛そう」
今思えば、それは身勝手な思い込みだとわかります。
自分が勝手に想像した心配事に身を焦がしていただけだということも分かり
ます。しかしその時々は、本気で苦しかったのです。



今週8月11日~20日まで、フランス在住の娘がいよいよ年貢を納めて結婚す
ることになり、家族全員でフランスにいってまいります。
(その間ブログはお休みします。)
そして、過去の身勝手な思い込みは間違いであったことを、この目で確認
してこようと思います。

私は、いまだに娘や息子のことになると心配しすぎる傾向があります。
しかし、フランスから戻った時には、もっと子離れをした自分に会えると
信じています。

「今が幸せ」と思えた時、それは沢山の振り返りが出来る時なのかもしれません。
過去の苦しかった自分の幻影や思い込みを修正し、癒す時だと思うのです。
「今が幸せ」と思えること。それは自分自身への最高の誉め言葉なのだと思います。

営業マン君からの学び

昨日、4月に入社したばかりの若い営業マンの方と話す機会がありました。
経営者向けフリーペーパーの営業をしている彼は、私の仕事帰りにでも30分だけ
お話しをさせてください、ということでした。

入社5カ月目になる営業マン君は、私のホームページを見て、経験学習に興味を
ひかれたといいます。そして彼がいうには、
「入社してから、自分もいろいろ経験して学ぼうと思うのですが、なかなかうま
くスキルとか身につかなくて・・。どんな風に学べばいいんですかね」

こんな風に聞かれて、一瞬戸惑った私がおりました。
一応営業の手順を踏んで話しを進めようとする営業マン君に、私が伝えたい経験
学習をどう説明よいのか、また、そんな気にもなれず、むぅっと考えながら出て
きた言葉が次のようなものでした。

  今世の中でいろいろな変化が起きているでしょう。政治や経済や自然環境。
  それに対して私達は何かを学ばなければならないと思いませんか
  あなたの中にもいろいろなことが起きているでしょう。例えば今言ったみたいに、
  どうして学べないんだろう、、みたいなことが・・・。
  二つのことって、まったく別の次元のことに見えるんだけど、実は同じ事なんだ
  と思うの。経験から上手く学べるかどう?今こそ、それが問われる時代ですよね



営業マン君との話しながら出てきた言葉。なかなか気に入っています。しかし、
これでは全然営業マン君に答えていません。ま、いっか。

ここまで書いて、振り返りがおきました。
やはり、こういうときの私は、答えよう、教えよう、とする罠にはまっているのです。
どうも、「教えて下さい」とこられると、教えたくなっちゃうんですね。
ここで、問いかければよかったのです。この営業マン君が知りたいことは、営業マン君
の中にあるので、それを質問で探しあてて、そこから応えればよかったのです。失敗失敗!

昨日の経験は、私は営業マン君の役には立てなかったかもしれないけど、
営業マン君は私の役に立ってくれました。
今後同じような質問が来たら、まず説明せずに質問をしよう!と誓った私です。

教えると育てる

教えると育てるは、くっつけると「教育」になります。つまり「教育」には
教えるという側面と育てるという側面がある、ということですね。

私は「教える」と「育てる」とは、本質的に異なることだと思うのです。
教えるは、教える側から教わる側への知識やスキルの伝達が中心です。
だから先生と生徒の関係です。そこでは教える方は、分かりやすさ、
納得性などを中心としたプレゼンテーションやインストラクションが中心に
なります。答えは、教える側がもっていることになります。

一方育てるとは、どういうことでしょうか。
育てるとは、子供の頃の夏休みの宿題で、朝顔を育てたことを思い出してみ
ましょう。一生懸命水をやり、昨日より今日は何センチのびた、と観察をしな
がら、ひたすら花を付けるのを待っていましたよね。
育つ環境を整えたら、あとは待つこと、観察すること、これが育てることの
中心ではないでしょうか。何が育つのか?つまりいくつ花を付けるとか、
いつ花を咲かせるのか、ということは、育てる側が決めるのではなく、育て
られる側が決めるのです。
育てるとは、本来、育てられる側の目線で行う行為なのではないでしょうか。

先生も、研修講師も、リーダーも、親も、教えることと育てることを、もう少し
区別してみれば、物事はもっとやりやすくなるのに。(自戒をこめて・・・)
教える延長戦上で育てようと思うから、難しいのではないでしょうか。

教育=教えること&育てること、というように考えたらいかがでしょうか。。
そもそも、教えるための技術と、育てるための技術は同じではないのですから。

広辞苑の説明「教育とは、教え育てること」に反発したくなった夏の夜でした。

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