経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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筋肉痛が教えてくれること

合気道を始めたばかりの頃は、毎回ひどい筋肉痛に悩まされていました。
その頃、熟達者の女性が筋肉痛について、こんな話をしてくれました。

  筋肉痛は、別にあってもいいじゃない。そこが痛い、ただそれだけのこと。
  むしろ自分はここの筋肉が使えていなかったんだなあ、とか、あ、今まで
  使えていなかった筋肉が今日使えたのだ!とかを、筋肉痛が教えてくれて
  いるだけですよ。
  

その後も、筋肉痛やら足首が腫れるやら、青あざができるやら、合気道を
やっていると「ここが上手く出来ていないんだよ!」ということを,身体が
身をもって教えてくれるのですが、2年たって、ようやくそういうことを、
ポジテイブに受け止められるようになってきました。

さて、振り返ってみて、これを私達の日常生活に適用してみたらどうでしょう。

上手くいっていないこと、傷ついてしまったこと、怒ってしまったこと、等
これらの心の痛みも、身体の痛みのように受け止めてみたらどうでしょう。

 上手くいっていない、ただそれだけのことなんだよ。
 傷ついてしまった、ただそれだけのことなんだよ。
 怒ってしまった、ただそれだけのことなんだよ。
 
 
 それが分かっただけよかったじゃないか。
 今まで分からなかったことが分かっただけだよ。

心の動揺や感情の揺れは、それを通して私達に何かを伝えてくれています。
だから、受け止めるだけでいいのだと思います。
大切なのは、冷静な私を取り戻すこと。いつもの私を取り戻すこと。
感情の波に中にいては、よりよい経験学習は望めません。
     
そうそう、2~3日前から、歩く時に左足の親指の神経がビンビン響いて
痛いのです。ちょっと合気道の練習をしすぎたか・・・と不安な気持ちに
なって接骨院にいってきました。どうやら左足の足底筋が弱いことと、
左足だけが若干外反母趾気味なことが原因のようです。

でも原因がわかったから大丈夫。治療と運動療法で治りそうな気配です。
気持ちはもう治った気分♪ あとはしっかり治すだけ。
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経験を成仏させる

最近、この言葉が気に入っています。
前々回のブログ「振り返りは伝播する」でこの言葉を使いましたが、早速拍手
コメントで、次のような投稿を戴きました。(ありがとうございます。)

 経験が成仏すると、なんだか身体が軽くなる感じなんでしょうね。たくさん
 の人の迷える経験を成仏させるお手伝いができたらすてきです。


そうなんです。経験が成仏すると、自分自身が軽くなるばかりか、その経験に
参加していた方々への感謝も湧きあがってくるのですよ!いいことばかりです。

人は生まれてから死ぬまでを一生と言いますけれど、一生というのは長いか
短いかは別にして、永遠につながる経験の連鎖だと思うのです。
一つの経験が生まれて、それが終わる。するとまた別の経験が生まれてまた
終わる。経験という単位で生まれたり死んだりする連鎖、それが私達の一生。
そんな風に考えてみました。

人が死んだ時、悔いや恨みを残したら成仏できないのと同じに、私達の経験も
悔いや禍根を残したままにしていると、その経験は終わってくれません。
いつまでもいつまでも意識の奥底にいやな感じに残ってしまいます。当然経験
への参加者への怒りや憎しみなども同じようにまとわりついて残っていくで
しょう。しかし、経験が学びに変わった時、そこには喜びと感謝が生まれます。
それを私は成仏と言いたいのです。

さてコメントをくれた方は、「沢山の迷える経験を成仏させるお手伝い」という
視点を私に提供してくれました。経験は自分のものだから他者の経験の成仏まで
考えていなかったのですが、そんなことも出来るかもしれませんね!

お数珠をつけた霊能者が迷える霊をあの世に導く図を想像しながら、いったい
どんな風に他者の経験を成仏させるのだろう?とニマニマ考えています。

考えることがまた一つ増えました。

質問力って何?

質問力ってなんだろう?
こんなベーシックな問いが、頭の中に渦巻いています。

何が問いを呼び起こしたかというと・・・
どんな良い質問でも相手がそれを受け止めなければ、良い質問にはなりません。
良い質問だ、と分かるためには、相手の反応が必要なのです。
逆に、シンプルでバカみたいな質問だと思っても、相手の中に深くしみ込むこ
ともあるわけです。

ならば、質問力の善し悪しを決定するのは相手?ということになるのでしょうか?
いやいや、やはり質問をするという行為に対して、質問力という言葉が存在する
のだと考えたほうが素直です。

私たちは何のために質問するのでしょうか?
 ・自分が知りたい何か知るため
 ・自分が相手の知りたい何かを相手と一緒に探るため
 ・何が見えているかを知るため
 ・何が見えないかを知るため
 ・何が分かっているかを知るため
 ・何が分からないかを知るため


こんな風に書いて見ると、質問力ってその人の生きる力につながりそうです。

大切なのは質問すること。
どんな答えが待っていようと、怖がらないこと。
どんな答えが来ても、怒らないこと、ガッカリしないこと。
質問の答えに執着せずに問い続けること。

今日の私の問いに対する答えはこんな感じでした。

振り返りは伝播する

一人でじっくり振り返るのも大切ですが、振り返りは複数の人達と行うことで、
さらにパワーアップしてきます。
  誰かの振り返りが他の人の振り返りを呼び起こし、
  誰かの学習は他の人の学習につながっていく。
  そして誰かの行動は他の誰かを勇気づける。

そんなことを、実感した経験をお話しします。

その昔・・・、私はAさんに厳しいフィードバックをしました。Aさんの
とる態度について、これを修正しないと、仕事の品質に関わるというような
場面でした。それまでも幾度となく注意したりアドバイスをしていたのです。
セオリー通りに、相手の受け取りやすいフィードバックを、相手の身になっ
て、相手を傷つけないように気をつけながら、何度も試みました。
しかし、普段は心を開いてくれるAさんなのに、このことになると、何故か
「ハイわかりました」、みたいな表面上のやり取りになってしまうのです。

しかし、それでは済まされない状況になって、ついに発した厳しいフィード
バック。格好なんかつけずに全身でぶつかっていくしかありません。しかし、
結果的にAさんは私のフィードバックを受け取ってくれませんでした。
心をぴしゃりと閉じてしまったのです。

この気まずい経験を思い出すたびに出てくるのは、ちょっとした無力感です。
 ・あの時は仕方無かったのだ。
 ・あれ以外に出来ることはなかったのだ。
 ・あれが私の実力なの
だから、結果は受け入れるしかないのだ、という感じです。

それから一年。

似たような体験をした友人の話の中に、大きなヒントがありました。
その友人は、自分が相手に厳しいことを言ったのは、自分がその人をとても
大切に思っていたからだと、話してくれました。

この友人の話をきいて、私にも大きな振り返りがおきました。
そうだ、私はAさんのことを本当に大切だと思っていたんだ。その心に偽りの
なかったことを再確認したのです。

無理やり自己納得をさせていた私の一年前のモヤモヤ経験は、一年たった今、
完全に成仏してくれました。これでもうこの経験を振り返ってタメ息をつく
こともなくなります。友人に感謝!

物事が縦につながっている感じ

今、自分の中にとても不思議な感覚が湧いています。
色々なものごとが、縦につながっていく感じです。
ひとつひとつの経験がそれなりの充実感とともに縦につながっています。

去年の今頃までは、
あれをやりながら、これをやり、このことを心配しながら、別のことを考えて、
というような過ごし方だったように思うのですが、今はとても不思議。

 一つのことをとても大切に扱えている感覚。
 一つのことが終わると、次のことが始まる感覚。
 やりたいことが、ちゃんと順番に訪れてくる感覚。

こんな穏やかで幸せな生き方もあるんだなぁ~

一年前に比べて何が違うのだろう?
そうそう、何かと闘ったり、心配したりすることが減っています。
やりたくないのに「仕事だから」と無理することが減っています。
先の事を心配したり、余計な推測や、余計な世話焼きも減っています。

余計なものを手放すと、こんなにいいことがあるんですね。
今日、一週間かけて作業した本の校正がようやく終了しました。
早く私の本に会いたいな!
明日は、仲の良い友人のNさんとYさんとランチです。


達成感と充実感

先週参加した清里のワークショップでは、インドの高僧ガユーナ・セアロから
沢山の講和をいただきました。
その中で、今の私に深くしみ込んだのが、この言葉です。

セアロはお話しのなかで、こんな風におっしゃっていました。

 達成感は、達成したらそこで終わってしまう。さらに、達成しようとして、
 目標や結果にこだわれば、それは執念や執着を生みだし、無理をしたり
 他者と比較したり、何かを責めたり攻撃したりすることにつながっていく。
 これからの私達は達成感よりも、充実感を大切にしていきたい。
 だから、自分の人生において自分の充実感はどこにあるのか、それを探す
 といいね。


私は若いころから、何か目前にターゲット(目標)が現れると、それを成し
遂げることに夢中になっていました。成し遂げるまでのプロセスが面白く、
それをやり遂げた時の達成感が、私のエネルギー源だったように思います。
しかし、達成するプロセスの中では、自分がこうしたいという思いや我儘が
顔を出して、周囲をコントロールしようとしたり、それが上手くいかなくて
ストレスをためたりしていたことも事実です。

が、とくに、今年に入ってから、自分自身が大きく変化してきていることに
気が付きます。この変化が何なのか?セアロのこの話を聞いて、ヒントを
戴いたような気がしました。
達成感ではなく充実感。この言葉がピッタリです。
経験からの学びを実践しているうちに、自分が自分を満たすことができ始
めたのかな・・・という感じがしてきました。

今私は「経験学習のススメ」という本を書いています。ただ今校正の真っ最中。
12月頃に発売の予定ですが、この本を書くというプロセスを楽しみながら、
自分の人生を充実させていきたいと思う今日この頃です。



力を抜く

9月になって、私の合気道歴も2年になりました。
思えば2年前の8月、何気なく始めた合気道ですが、自分でも不思議なほど
続いています。これまでにも、身体を丈夫にするために太極拳をやったり、
水泳をやったりしましたが、だいたい3カ月くらいしか続きませんでした。
何故続いているのか、不思議です。

そもそも始めたきっかけから違うのかもしれません。
2年前の夏、私は、
  物事をコントロールしたい、
  自分の思う通りにことを運びたい
という自分の欲求の強さに振り回されていました。
状況てきには、他者のビジネスの運び方や仕事の仕方に憤りを感じたり、
勃発的に起こる難事件(?)や怪事件に振り回されて、それらを何とかしようと、
ヘトヘトになって、くたびれきっておりました。

  こんな風に、残りの人生も過ごすのか?
  こんな私でずっといたいのか?

そんな思いに悩んでいた時に、とっさに始めたのが合気道だったのです。
合気道のことを何も知らず、勝手に「気を合わせる道?」と解釈して始め
たのでしたが、この年でよくまあ!と自分でも感心しています。

合気道には、私達がよりよく生きるためのヒントがつまっています。身体の
レベルで学びながら、それが日常の経験学習に生きていく感じがたまらなく
良いのです。

今の私の課題は、「力を抜く」です。
とくに、私の肩はゴチゴチです。力を抜いて!といわれても抜き方が分からない
のです。長年、あれをやらねば、こうせねばと自分勝手に背負ってきた何かが、
首や肩や背中の筋肉や関節や筋に、練り込まれている感じです。


今はまだ、力が抜けていないことを認識したレベルなのですが、身体レベルで
学ぶことで、日常の自分の在り方を振り返る、そんな連鎖がとても楽しいです。

あと何年続けられるかなぁ・・・あと10年はやりたいなぁ・・・
こんな風に思える私は、とても幸せです。
これからは、合気道を通して得た気づきについても書いて見ようと思います。


清里の優しい駅員さん

先週の金曜日から二泊三日で、清里の清泉寮に行ってきました。
私の敬愛するインドの高僧、ガユーナ・セアロをお迎えしてのワークショップ
があったのです。何人かの顔見知りの方もいらっしゃり楽しい二泊三日でした。
とくに、最終日に行ったワークは圧巻でした。

護摩札が各人ごとに二枚準備されます。
一枚目には、自分の手放したいことを願いごととして書きます。
二枚目には、ありたい自分を願いごととして書きます。

参加者全員で、まずは一枚目のの護摩札を暖炉に入れて願いをこめて燃や
します。それぞれの参加者の情念がパチパチと音をたて燃えていきます。
次には、ありたい自分を願う護摩札を燃やします。
1人1人の思いが天に届くがごとくメラメラ、パチパチと勢いよく燃えていき
ます。

ちなみに私は一枚目に「損得勘定、自意識過剰な私を手放します」と書きました。
火にくべた時ちょっと名残惜しいような変な気分でしたが、ちゃんと燃えて
成仏してくれたでしょうか。
二枚目は、とても気持ちよく燃えてくれました。願いよ届け~!

      

そんなワークショップを終えて、帰りの清里駅でのことです。
電車にのろうと乗車券と特急券を取りだしましたら、なんと、特急券は行きの
切符です。つまり、私は9月2日に清里駅についたときに、乗車券と帰りの特急券
を改札口で出してしまったことになります。

あ~恥ずかしい、穴があったら入りたい。この失敗を無かったことにする為には、
このまま素知らぬ顔をして新たに特急券を買ってしまおうか?という思いが一瞬
よぎりましたが、ふと目の合った年若の駅員さんに相談してみることにしました。

すると、駅員さんは私の話しを丁寧に聞いてくれ、なんと!9月2日の特急券の保管
してある箱を調べて、9月4日付の帰りの切符を探してくれたのです!
なんという幸せでしょう。
当たり前の方法で当たり前のように対応してくれた清里の駅員さん、本当にありが
とうございました。

なんだか、私は「損得勘定、自意識過剰」を手放せそうな気分です。
台風の真っ最中。雨が激しく、生憎の天気で清里の美しい山々はついに姿を見せま
せんでしたが、次に行く時はきっと山々が姿を見せてくれるのではないかと思います

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