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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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「寒いね」と・・・・

母の付き添いで行った歯医者さんの待合室。
書棚にあった俵万智さんの歌集「サラダ記念日」を手にとったのです。
その中にあった一首が、私に何かを語りかけてきました。

  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

私は月に2~3回、一人住まいの母のところに行きます。今までは具体的な用事を
頼まれて何かを手伝うということが多かったのですが、最近はそれらも一段落。
用事はなくなったので、訪問の理由もなく、でも何となく行ってあげたいような、
面倒くさいような・・・そんな悶々とした時間が過ぎていました。
そんな時に出会ったのが、この歌です。

  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

用事がなくたって、顔を見せるだけで母は喜ぶ。
私と一緒にお昼を食べるだけで、母は幸せ。
それだけでいいんだね・・・

今更ですが、こんな当たり前のことに気がつきました。
気づいたことに感謝、感謝。
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想定外の行動

3層式研修については、1月24日のブログでは、研修チームに想定外の学びが起き
ていることを書きました。
先日、第四回目のフォローアップ会議、(OJT指導者会議)がありました。
今回は、いつも表に出てこないOJT実践者も参加してくれました。

まずは半年間、OJTを実践してみてどうだったという振り返りです。
 ・今まで人のことを気にせずに仕事をしていたが、OJT実践者として他者を
  観察したり声をかけたりするうちに、相手の成長が見えてきた。
 ・研修参加者に積極的に関わり、普段の自分の行動を振り返ることができた。
 ・OJTをしていくうちに、考えの幅が広がり、自分も沢山学んでいることに
  気がついた
などなど、多くの学習の成果が報告されました。

そして、こちらからのリクエストしていないのに、各人がOJT実践をする中で、
様々な行動を取り始めています。これぞまさしく行動の成果。
 ・OJTの時間が取りづらい人に対しては、交換日記のようなノート形式で
  やりはじめた。
 ・OJT実践をする中で悩んだことを、部長(OJT指導者)にもっとざっく
  ばらんに相談して協力を仰ぐことにした。
 ・チーム会議などで自分達が他のスタッフを研修する際には、ユアーズ方式
  (研修後に課題を出して、一カ月後にフォローする)を取り入れてやって
  みることにした。

この研修、前半は研修参加者とOJT実践者とのコミュニケーションに焦点が
当たっていましたが、後半にはいって、OJT実践者と指導者の関係性にも変化
が出始めています。研修に直接的に参加をせず、OJT実践をしている人たち
に、想定外の行動が見え始め、嬉しい限りです。

さあ、これからはどんどん課題解決に焦点があたってきます。
学習の成果を課題の成果につなげる大切な時期に突入です。

学びほぐし

学びほぐしとは、アンラーニングという言葉にあてられた訳語です。
アンラーニングについては2010-0814のブログでも一回取り上げています。
その時は、こんな風に書いていました。

――(前略)本の注釈には「身につけてきたことを意識的に捨てること」とあります。
「学習棄却」、「学びほぐし」と訳されることもあるようです――


一年8カ月たった今、人材開発系の月刊誌の用語解説で、この言葉の解説をする
ことになり、あらためてアンラーニングの意味について向きあうことになりました。

アンラーニングというと、アンハッピー、アンラッキーのような単語から連想して、
「学ばないこと」と思いがちです。しかし、UNという接頭語を名詞につけると、
名詞の表す物・性質・状態を取り去るという働きもあり、そこで、「学習棄却」と
訳されるわけです。一方の「学びほぐし」は、哲学者の鶴見俊輔さんの訳だと言う
ことです。

「学びほぐし」とは、自分の積み重ねてきた学びの束をほぐして、あるものは捨て、
あるものは練り直して、新たな学びを創造するということですが、そう簡単なこと
ではなさそうです。

経験学習のサイクルでは、経験を振り返ったあと持論化するプロセスがありますが、
ここで積み重ねた持論の束をほぐしていくことになるわけですから、よほど大きな
振り返りが起きたか、ショックを受けたか、内なる声が囁いたか、直観が降りたか・・

ともあれ、学びほぐしが起きると、それまで積み上げてきた自分の学びを、自ら捨
てるわけですから「学習棄却」という訳も、そう悪くはありません。

他国の言葉を日本語に訳すのは、難しいことだと思います。アンラーニングという
言葉も、いろいろと深めていくうちに、漸く親しみがわいてきました。

教える側の忍耐

合気道の稽古をしていていつも思うのですが、教える側の忍耐力は大したものです。
教えたことができなくても、何度でも何度でも教えるのです。
決して、「この前も言ったとおり~」と言わないあたりがすごいです。

時にはやって見せ
時には何故そうなのかを説明し、
時には手を添えて動きを体感させ、
時には強く技をかけてお手本を示し・・・

言葉で言ったり教えたりしても、すぐには出来ないということに関して
とても寛大で寛容な世界です。忍耐と感じるのは私の方で、教える側
は、それを忍耐と感じていないのかもしれません。
聞いてみなければわかりませんが・・・

出来るか出来ないかという結果に固執せずに、それでも教えるという、この
手放し感が、なんとも清々しいです。
教えるという実践自体が、稽古に溶け込んでいる不思議な空間です。

何かを教える、何かを教わるという「教育」・「育成」・「指導」の世界。
自分が学校やビジネスの現場で経験してきたことと、道場の中で経験している
ことを、ついつい比較しながら、想いを巡らす毎日です。

学校やビジネスの現場では、成果を出さなければならないから、同じように
考えるのは難しいけれども、「教える」ということについて、道場の中に何か
私が知りたいことのヒントが眠っていそうです。

認識力の危うさ

私は石が好きで、直径20センチ位の白いお皿に、アメジストの細石を敷き詰め、
その上に色々な石を飾っています。その中の、とても大切にしている24面体の
水晶の飾り物が、忽然と姿を消しました。

4歳になる孫がよくこの石達と遊んでいるので、もしや家のどこかに置いたのでは
ないか?カバンの中にでも入れてしまったのか?と一週間探しまわっていました。

とうとう諦めて、石が消えた意味を考え始めました。
物が無くなるということは・・・・きっと、整理が悪いから。
そう言えば仕事場が、最近ゴタゴタしていて、片付けられていません。
なによりも、カーテンで仕切ってある棚の中がゴチャゴチャ。
ずっと気になっていました。
そうか・・・部屋を整理せよということか・・・
仕方無い、明日から断捨離でもするか・・・ 

そう決心して石の皿を見ました。
な、な、なんと、無くなったはずの24面体の水晶がちゃんとあるではないですか!

石たち


物が消えるはずはありませんから、きっと無くなったに違いないと思いこんでいる
私に水晶が見えなかっただけなのでしょう。

人間の認識力って、こんなものなんですね。
不思議な不思議な体験が、私にまた何かを伝えてくれました。

ラーンングデイベロップメント・エンジニア

Y先生に教えて戴きました。
その昔、システム・エンジニアという言葉が出来た時、皆ビックリしたそうです。
え~!エンジニアって、目に見える機械とか装置をいじる人でしょ!
システムのエンジニアって、何する人???
みたいな反響だったようです。

だったら・・・
ラーニングデイベロップメント・エンジニアという職種ができてもおかしくない
と思いませんか?
組織は、まさにこれを必要としているのではないでしょうか?

ラーニングをデイベロップする人。
ラーニングをデイベロップするには、そのための知識や技術が必要。
だから、ラーニングデイベロップする専門家は、存在してしかるべき。

私には、企業にCEOがいるようにCLO(Chief Learning Officer)がいて、
組織の中には、LDE(Learning Develop Engineer)がいるというビジョンが
見えています。

私だけでしょうか?こんな妄想をしているのは?



これが私流

1998年に独立してからというもの、実に沢山の本に出会いました。
中には、これは絶対にものにしたい!と強く惹きつけられる本があります。
そういう時、私は、その本のダイジェスト版をつくるのです。
何日も何日もかけて、キーメッセージとなる個所をワードで打ち込み、小さな
私だけの小冊子にするのです。

ちなみに、これまでにそんな風にお付き合いした本達とは・・・

 不満の管理  (Y先生にお借りした古い本ですが絶品でした。現在絶版)
 組織行動のマネジメント 高木晴夫訳 
 行動科学の展開 ハーシ&ブランチャード 
 学習する組織-5つの能力 ピーター・センゲ
 そして、今手がけているのが、
 あなたのための社会構成主義 ケネス・J・ガーゲン 

こうしてみると、やはり私は人と組織に興味と関心が向いているようです。

こういった本達に出会っている時の私は、
完全にその本に没入してます。
謙虚にその本に教えを乞うています。
熱く熱くその本に恋しています。


ダイジェスト版にしたあと、どうなるかって?
ただダイジェスト版を作ったというだけで、何にも利用しません。
しかしダイジェスト版を作った本達は、しっかり私の中で息をし始めるのです。
これが私流の勉強の仕方。

さあ、「あなたのための社会構成主義」も最終章まできました。
今週中になんとか終わりそうです。

はやく私の中で息づいてください!
私が何かを生み出すのを手伝ってください!
あなたと一緒に、私のオリジナルを生みだす日が楽しみです。

手ごわい相手

社会構成主義について勉強中です。
現実の再生産(2012-03-27)で書いたように、
“私達は、現実の再認識と再解釈をとおして、現実を再生産している”
  「あなたへの社会構成主義」ケネス・J・ガーゲン著 より


こうして文章を読むと、ふんふん、その通り!と思うのですが・・・
現実生活の中で、これを実践する試練がやってきました。

久しぶりに、主人にガミガミと怒りたい出来事が起きたのです。
自分の年齢や体力を省みずに、運動のし過ぎである! だから痛めている膝が治ら
ないのだというのが、私側の物語です。

散々自分の中で、怒ったあとに、ふと振り返りが起きました。

この一件は、主人からみたら、どんな物語を構成しているのだろうか?
もし、いつものように私が怒ったら、どんな現実を再生産するのだろうか?


これまでも、学んだことを友人関係や子供達にあてはめて実践していますが、
最も手ごわいのが主人です。どうも普段の素の私が出てしまいます。
いろいろ振り返った末、、いつもと違う行動をとることにしました。

まずは、膝をアイシングするグッズを買い求め、そして、夕方主人が帰ってきたら、
黙って手渡そうと決心しました。

しかし、現実はボロボロ、やっぱりガミガミ言ってしまいました。
でも、何かが違うはず。ガミガミ言いながらも、主人の言い分を受け入れている私が
いましたから。少なくとも私の中で作りあげていた現実は、主人の話を聞いて、
ちょっとだけ、しかし見方によってはとても大きく変わりました。

あ~実践は難しい!
しかし実践しないことには、何も変わらない。
手ごわい相手に対して実践を試みた自分に拍手でもしましょうか・・・


今日は201回目です

2010年4月に始めたこのブログですが、とうとう200回を超えました。
前回の「船が動き出した」が200回目だったのでした。
書き始めた当初は、とにかく200回は書こうと決めていたのですが、設定
したゴールは、私自身も忘れてしまうほど静かに達成されました。

200回ブログを書くという経験から、私は何を学んだのだろう・・・

漠然と思うことは、いろいろ振り返ってそれを文章にすることによって、
 確実に振り返りが起きています。
 目に見えぬ誰かとつながっていると思う時があります。
 何かと何かがつながるスピードが速まっています。
 欲しい情報が集まってきます。

経験学習を広めたい!という志を持って始めたブログは、私の思いの実践なのかも
しれません。

何も求めず、何にもこだわらず、ただただ今を振り返る。
そして時々立ち止まって、見える景色を楽しもう。
これが201回目を書いている今日の気分、私に見えている景色です。

あと100回書いたら、どんな景色が見えているのでしょうか?
それを知るためにも、やっぱり書き続けてみようと思います。

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