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経験学習のススメ

経験学習デザイナー 阿部久美子のブログです

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場のエネルギーを変える(2)

昨夜は、グループリーグ初戦を戦った日本の若きイレブンに酔いしれてました。
ゲームを移すレンズのフォーカスが遠くなり、会場全体が画面に映し出されると、
まるで、グリンピース(スペイン)と2Lサイズの丹波の黒豆(日本)が戦って
いるように見え、断然黒豆優位! に見えちゃいました。


さてさて、忘れないうちに、先日書いたアクションラーニングのセッションの介入
第二弾を書いておこうと思います。

場面は、全員が共感を通り越して、問題に呑みこまれ、泥沼に入り込んだように動き
が取れなくなった時のことです。お仕事の悩みですが、それだけ他人事とは思えぬ
深刻さがあったのでしょう。何度か視点を変えるようリクエストするも、チームは
全く動けません。そこで介入。

では、皆さんの視点を変え工夫をしましょう。
ここからは、皆さんがそれぞれ異なる立場になりきって質問をすることにします。
Aさんは、看護師長さん
Bさんは、院長ね
Cさんは、同僚
Dさんは、部下です。
はい、質問を続けましょう!

チームを膠着状態から救うための大介入。
みんなもそれが分かっているので、一生懸命です。戸惑いながらも、視点の変わった
質問が出始めました。

最後に問題を提示してくれた人に聞きました。
「あなたの問題は、最初が10だとしたら、今はどの位になりました?」
「皆が質問してくれて話しているうちに、1になりました!」
これを聞いて、チームにワッとどよめきが起きました。
グループがチームに生まれ変わった瞬間です。

小さな小さなドラマのような1時間でしたが、この感じを忘れないで欲しいなあと
願わずにいられません。でも大丈夫。経験を共有し、そこから学んだことだから
きっとみんなの経験にしっかり刻み込まれたはずです。


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「教える」と「学ぶ」の共鳴

‘教える’と‘学ぶ’は、対立した概念のようにも思えるが、表裏一体のことの
ようにも思える・・・教えるとは何なのか?学ぶとは何なのか?という根本的な
問い対して、まだまだ模索している最中です。

  教え方が下手でも、学びは起きるし、
  教え方が上手くても、学びが起きない時は起きない。

結局は、学ぶ側の意識や能力によって全ては決まってしまうのか?
教えるなんて、結局無駄な行為なのか?
と、ここまで問い詰めると、「いや、そんなことはない!」と私の中の誰かが
否定をします。

教えると学ぶは表裏一体という感覚を紐といて行くと、それはある同じ空間を
共有して行われているのだということに気づきます。その空間は、教室や研修
室のような物理的な場であったり、ウェブ上の仮想教室であったり、本のような
文字の世界であったり、または、思いだけでつながる世界かもしれません。

今思っていること、それは
「教える」と「学ぶ」が共鳴した時に、教える行為と学ぶ行為は、最高の成果
を生むのではないかということです。そこは、教える側にも学ぶ側にも喜びが
生まれる素晴らしい世界です。

研修講師として、コンサルタントとして、また合気道の稽古で、幾度となく経験
してきた、この共鳴した感じ。
上手に人に伝えられるようになりたいです。

場のエネルギーを変える(1)

先週に引き続き、今週もまたアクションラーニングのセッションをやりました。
5~6人のチームでの一時間のセッション。一人が自分の問題を提示し、全員で
その問題解決にあたります。

進行をしている私の左側に問題提示をした人、その隣には彼女の同僚が座って
います。問題提示をした彼女が話し出して1分が経過したとたんに、チームの
エネルギーがガクンと落ちました。とくに私の左側のエネルギーがドーンと落
ち始め、このままではチーム全体が渦に巻き込まれて沈没しそうな感じです。

すぐに私は介入をして、チームの席替えをしましたが、状況は好転しません。
むしろ、ますます重たくなっていきます。
問題自体は、仕事をしていれば必ず出会うようなシンプルなものでしたが、
チーム全体が心の深いところで共鳴したのでしょう。

これでは生産的な問題解決にはなりません。場の改善を図らなければなりません。
とっさに出てきた私の介入は、こんな感じ。

「皆さん、机から30センチ離れて、足を組んで座って下さい。深呼吸をして
少し遠い目線で問題を見直してみましょう。」

チームの雰囲気は少しずつ改善していきました。
何よりの成果は、メンバー自身が、のめりこみすぎていると、問題解決のサポート
が出来ないのだということに気づき始めたことです。

実は、この後、さらなるチャレンジングな介入をしたのです。
この次は、そのことについて書きたいと思います。


美しい日本語にふれて思うこと

先日、何気なくTVをつけましたら、なんと外国の人が、とてもきれいな日本語で
歌を歌っています。どうやら、外国の方が日本語で歌を歌うという企画で、その中
から優勝者を決める、というような番組のようでした。

ビックリしたのは、ほとんどの人が日本語がしゃべれないのです。それなのにあん
なにきれいな日本語で歌えるなんて、すごい。と同時に、何故かその時、日本語は
美しいと本気が思ったのです。そして胸の中に熱いものがこみ上げてきたのです。

この感覚は何だろう・・・

その時は、分からなかったのですが、今は分かります。何故心が熱くなったのかも
わかります。きっと嬉しかったのだと思います。世界各国の方が、日本語の歌を
練習して、日本人以上に上手に歌ってくれたことが。

同時に、大震災や原発などの困難から立ちあがろうとしている日本を、世界中が
見守っているように思えたのです。

日本ってすごいなあ。
日本に生まれて良かったなあ。
私のすることが、それが仕事でも仕事でなくても、何かの役に立てればいいなあ。
誰かの役に立っていればいいなあ。

そんな風に思ったのでした。

未熟さを見せつけられる

私は何か出来事が起こると、とっと、とっとと、先のことを考えてしまう方です。
自分でもそれを分かっていますから、大事なことは、たいていY先生に相談をし
てから判断をするようにしています。今朝も、電話でそんな相談をしました。

先生曰く、
   「今の段階ではまだそれは早いのではないか?まずは現状何がおこるかを
    見極めてからでいいのではないか?」とアドバイスをもらいました。


その時、急に、本当に急に、昨夜の合気道の稽古の情景が浮かんできたのです。

合気道の先生が、私のオデコに手を置いていいました。
  「阿部さん、頭が先にでているよ。手に力を出さないといけないのに、頭が
   先に出ていては、手に力がはいらないでしょう。まずは手を見て!」


その話をY先生にしたら、Y先生、大喜びです。「やっぱりなー」、わっはっは
と笑いました。
合気道は、私の未熟さを教えてくれます。
合気道が上達した頃には、私の先っぱしる思考のクセも直っているでしょうか?

それを検証するためにも、一生懸命練習しよっと、と変なところに落ち着いた私
でした。要するに、たくさん稽古がしたいだけなのかもしれませんが・・・・

現場の匂い

久しぶりに、本当に久しぶりにアクションラーニングのセッションをやりました。
アクションラーニングのコーチとして、一日に4回のセッションをまわしたので
すが、なにしろコーチをやるのは、20か月ぶりです。

しかし、案ずるより産むが易し・・・前より自由さを増した感じで、セッションを
楽しむことができました。

久々に感じた現場の匂い。
課題達成や部下育成に追われて、ゆっくり考える時間のないマネージャーの方々と
のセッションから、沢山のことを感じました。

 そこにいるのは他者なのだけれども、その他者の中に、確かな私を感じる。
 一人一人の表情から、現場で頑張っている姿を感じる。
 小さなしぐさから、守りたい何かを感じる。
 そんな観察をしながら、一人一人が自分が重なってくる。


人材開発の仕事をしていると、ついつい忘れてしまう現場の匂い。
アクションラーニングのセッションは、現場と私をつないでくれるのだという
新たな意味を見出しました。

現場の匂い。
これを忘れてしまってはいけないなと、改めて振り返った一日でした。



心身の健康

昨日は、一日中プチ鬱状態でした
何となく身体がだるいし、集中力に欠けてテキスト執筆は進まないし、ちょっと
したことに引っかかって気分が落ち込んでくるし、あ~最悪、という日でした。

夜になってテキスト執筆は諦めて、1時間ほどストレッチをした
ので、身体の方は随分楽になりました。そして、ちょっとした心の引っかかりに
ついては、主人や友人とのおしゃべりで発散したので、一日たった今日はすっかり
モヤが晴れています
いやそれ以上に、心の引っかかりから私なりの学びを引き出すこともできました。

なるほどね・・・
  身体の疲れがとれると思考は正常化してくるのですね。
なるほどね・・・
  心が晴れると、思考は前向きになるのですね。


心身の健康が前向きな思考をつくるのですね。
経験からのよりよい学びを作り出す条件のなかに、これを入れましょう。

自分の成長を実感

合気道では技をかける人を「取り」と呼び、かけられる人を「受け」と呼びます。
久しぶりに「腰投げ」という技の稽古をしました。腰投げの稽古は、「受け」が
大変なので、同じくらいの体重の人がいないと出来ません。始めて一年目のころ、
合気道二段の女性の先輩にお願いして、一回だけ腰投げで投げてもらいました。
その時は畳にドテッと背中と腰を打ちつけ、超痛かったのです。そして二年目、
やはり同じ女性に投げてもらいましたが、こんどは足を打ちつけて青あざをつくり
ました。そして昨日の稽古で、やはり同じ女性と稽古をしたのですが、今度は
どこも打たず、ヒラリと(本人談)投げられました。

成長するって、こんな感じなのですね。
三年目に訪れたこの経験は、私の中に大きな成長実感を残してくれました。

私たちは、成長を把握するために、テストをしたり評価をしたりして、外側から
成長を図ろうとします。そこでの結果は、ただ出来るようになったということを
知るだけ。テストや評価は、達成感はもたらしてくれますが、本人の成長実感には
直接つながらないように思います。

成長実感は、その人の経験からもたらされます。成長実感は本人だけのものですが、
それは生きるエネルギーそのものですから、人材育成の仕組みの中に、人々の成長
実感をもたらす何かを組み込みたいものです。

合気道をやりながら、また人材開発のことを考えている私でした。


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